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ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

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新年あけましておめでとうございます。

 ガンダムもついに四十周年ですね。

 俺は十年もblogやっていたわけだけど、おかげさまで楽しい十年でした。
 コメントやトラックバックをしてくださった方々はインテリばかりで、学のない自分には勉強になることばかりで、たいへんありがったです。

 私生活は苦しいことの連続だったけど、現世に生きることは魂の修行だと思っているので、少しは人間的に成長できていたなら嬉しい。

 鏡や写真をみるかぎり、俺は童顔ではないと思うのだけど、いつも年齢より低くみられていたんだな。
 中学生のときは小学生に間違えられ、高校生のときは中学生に間違えられたことがあった。

 ところがこの十年で歳相応にみられるようになって、魂の修行がそこそこ成果を生んでいるのかな、と思いたい。

 年下の方に父性をみられることが多くなって、俺は富野由悠季や平井和正のように疑似的な“父”をやってみせていることができているのかな、と自省してみたりもする。
 このあたりは、今後のミッションなのかもしれない。
 柄じゃないんだけど、ちゃんと相談にのったり、ときには説教をすることができるようにならないといけないんだろうな。

 選挙を通しての政治参加が一番大事なのは確かだけど、それ以外でも政治的なふるまいができるようになれたらいいな、と思うんだな。
 俺はトランプ支持者だけど、人類は歴史の岐路に立っているな、とひしひしと感じている。
 わが日本国は「そこ」に気づいていなくて、非常に危機的状況にあるよなー。
 いまだに新自由主義だもの。どれだけ周回遅れなんだ。

 日本では共同体主義は無理だと思っていて、政治結社とかファシズムとかの時代は確実にくるが、それも一過性のものにすぎないなんだろう。共同体主義がぎりぎり機能するとしたら、日本では宗教になるんだろう。

 俺は俺なりの信仰、死生観があって、宗教団体には不向きというか、個人主義者だしね。

 日本では大きな政府という選択しかありえないんじゃかな、という気がする。
 あれも自由化、これも自由化、といった小さな政府論路線は、日本には向いていないんだね。

 究極的に言って、軍隊と警察、税務署しかなくなってしまうのが小さな政府論で、小さな政府ってだから暴力団と変わらない。だったら「暴力」を市民に還してください、としか言いようがないね。
 日本も銃社会にしてくれるのなら、小さな政府論も考えなくもない。

 ガンダムの魅力って、体制との距離感かな、という気がする。

 社会化される前の少年が、ほんの少しだけギフトされた「暴力」、それがガンダムなんだと思う。
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俺にとって、辻谷耕史さんは、特別な思い入れをもった好きな声優さんである。

 『機動戦士ガンダムF91』のシーブックと『犬夜叉』の弥勒は、格別に感情移入できるキャラクターで、その両者が同じ声優さんであると気付いたとき、「へー、そういうこともあるんだなー」とビックリした覚えがある。
 シーブックと弥勒には共通点などないのに、どうしてなんだろう、といまでもちょっと理解できない。

 俺にとり、辻谷耕史さんという役者さんは、そういう意味で別格なのだ。

 またどこかで、「へー、そういうこともあるんだなー」とビックリすることもあるだろう。

 これは俺の霊感だ。エニシがあるのだ。

 またどこかで。

『機動戦士ガンダムF91』について 作劇とキャラクター

 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『機動戦士ガンダムF91』の4Kリマスターを買った。
 4K環境を構築するのはだいぶ先になるだろうが、「いまのうちに監督にお願いしたい」という意気を感じたので買うことにした。

 富野監督は、『機動戦士ガンダムF91』について、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』ほど、あまり満足してないようで興味深かった。
 理屈に走りすぎている、という旨の発言が多く、監督はかなり窮屈な思いをしたのかな、と考えた。

 俺は『STAR DRIVER 輝きのタクト』が大好きなのだが、その最終二話を観て驚いたことがある。
 『新世紀エヴァンゲリオン』の最終二話にも驚いたが、それとは真逆のものを見せられた感じだった。

 『新世紀エヴァンゲリオン』は「パンツを脱いだ(by庵野秀明)」ことに驚き、感動したが、『STAR DRIVER 輝きのタクト』はむしろ逆だ。
 「完璧なパンツ」を見せられた気がした。

 とにかくロジカルなのである。「あ。あそこがこうなって、こうなるのか」という仕掛けに感動したのだ。
 クライマックスが三段構えになっているとは想像もつかなかった。
 「若者のちから」→「自己犠牲」→「それらを越えるヒーロー」というのは三段構えに痺れまくった。

 『宇宙戦艦ヤマト』から『魔法少女まどかマギカ』まで「自己犠牲」で有終の美を飾った作品は素晴らしいと思うし好きなのだが、まさかそれを越える「ヒーローによる救済」が描かれるとは思わなかった。

 五十嵐卓哉監督の手腕によるところが核心的なのは確かだが、脚本家の榎戸洋司の凄みを感じた作品だった。

 柄谷行人だったろうか、日本人は「建築する意思」が弱い、といった旨の発言があったと思う。たしかに日本文学には論理性が足りないという傾向がある。
 邦画の脚本も同様である。もちろんこれは“ヌーヴェルヴァーグ以後”の映画観が影響しているのだろうし、優れた脚本を素晴らしい映画にしてくれる(俺が尊敬する)金子修介のような映画監督が少ないという事情もあるのかもしれない。

 榎戸洋司の脚本は驚くべき「建築する意思」に貫かれている。間違いなく優れた建築者だ。
 それを映画に昇華する五十嵐卓哉監督の才能は眩しいばかりだ。

 劇場版『STAR DRIVER 輝きのタクト』は正直あまり期待してなく、しょせんダイジェスト映画、既存ファンのファンアイテムだと思っていたのだが、実際観ていて、その「再構築」ぶりに、びっくりした。後世のお手本になるような素晴らしい映画だった。

 作劇が優先され、キャラクターたちは、そのなかで、「自分の役割」を演じている、という側面があることはたしかだ。
 キャラクターの「掘り下げ」について、おざなり、とうわけではない。
 注意深く観れば、それぞれのキャラクターが、独自の背景をもち、関係性の変化をもった存在であることがみてとれる。
 しかし注意深く観ればだ。

 『STAR DRIVER 輝きのタクト』はキャラクターより作劇を「優先した」というのが俺の感想である。
 キャラクター人気がそれほどでもなかった、という傾向はそのためかもしれない。

 俺が『機動戦士ガンダムF91』が好きな理由は、『STAR DRIVER 輝きのタクト』が好きな理由と同じなのだと思う。
 俺は物語が好きなのだ。作中人物の魅力に鈍感というわけではない。だが優先順位でいえば物語だ。

 作中人物の魅力は「注意深く観れば」伝わるものであって、物語が魅力的であれば、観客は勝手に「自分なりに掘り下げて」くれるものなのである。
 「自分なりに掘り下げて」というのが俺にとって、最高の快楽でもあるのだ。

 『機動戦士ガンダムF91』は、そういう意味で、俺にとって最高の映画だ。

 キャラクター主義というのは、そもそも「連載マンガ」の作法であって、人気が出れば長期連載化が可能である、という特殊な事情が背景にあることを忘れてはいけない。

 富野由悠季のキャラクター主義というのも似たようなところがある。TVシリーズという「人気がなければ打ち切り」「人気がでれば延長」というのは、「連載マンガ」のそれに酷似している。

 『機動戦士ガンダムF91』では、アムロやシャアのようなキャラクターをつくれなかった、と反省するが、TVシリーズと映画は別物である。
 映画の限られた時間のなかで、“濃い”キャラクター主義は通用しない。掘り下げる時間がないのだ。
 映画……劇映画は自然と物語を優先することになる。バランスをとるために、映画がときとして「映画スター」を必要とするのもそうした理由がある。

 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』において、アムロやシャアは「映画スター」のようなところがある。
 それもこれもTVシリーズで醸成されたキャラクターだからであって、『機動戦士ガンダムF91』のような完全新作のキャラクターたちと較べるのは、「映画」についてどこか勘違いしているのではないかと思う。

 完全新作の映画としては、『機動戦士ガンダムF91』は唯一の作品だ。
 『伝説巨神イデオン』以来、コンセプトと設定、場面場面のうえに直接芝居を載せることによって、作品をつくってきた富野由悠季が、初めてつくった「映画」だ。
 陳腐な「いつもの富野」を越えた、新章とでもいうべき作品で、俺はお気に入りなのである。

 物語が復活したのだ。これほど感激したことはなかった。

 その物語に(映画という媒体のせいもあって)、従属するしかなかったシーブックやセシリーを批判することは、たとえ生みの親だとしても、許すわけにはいかないのだ。

 俺は『ガンダム Gのレコンギスタ』が遺作というのは、やっぱり納得がいかない。「コンセプトと設定、芝居しかない」という『伝説巨神イデオン』以来の欠陥がある作品だからである。

 TVシリーズが体力的に無理ならば、一本の新作映画を撮って欲しい、と心の底から願う。

 ただそのためには、『機動戦士ガンダムF91』の再評価が絶対条件である、と思っていることも確かなのである。

ハマーン・カーンについて

 kaito2198さんの記事
 ハマーン・カーンというキャラとZZという作品のこと
 から。

 また、ハマーンはいったいシャアと肉体関係を持ったかどうかの論争については、まさに男性と女性の違いだと思う。女性のほうはだいたい寝てなかったと思うし、逆に男性のほうはどっちかいうと寝た派が多い気もする。ちなみに榊原良子氏は寝てない派で、監督は寝てた派だそうだ。まあ私もそういう経験がないから、あくまで想像でしかないが。



 俺は「寝てない派」だな。

 小説版でもそうだし、なによりカミーユが覗き見た「ハマーンとシャア」の画がすべてを物語っていると思っている。
 ハマーンが「背伸び」してシャアの肩に手をかけているんだな。シャアは立っているだけ。
 肉体関係があればシャアがハマーンの腰を抱いていてもいいはずだがそれもない。そもそもハマーンも「背伸び」する必要がない。カミーユに激怒する必要もない。

 シャアにとってはしょせん「成り上がり者の娘」でかなく、むしろ軽い侮蔑をもっていたのではないかと想像するんだよね。小説版における「汚い食べ方をする少女」という描写が印象に残っている。

 シャアが「ロリコンだ」というのも、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』におけるギュネイの嫉妬まじりの発言にしか根拠がなく、ララァにしろナナイにしろ、歳相応の女性と付き合った描写しかない。
 シャアがハマーンという少女に手を出すか? という視点で考えれば、おおかたの女性の意見の方が正しいと言わざるをえない。

 kaito2198さんの仰る「ハマーン全体を振り返ると、ひどく空虚で空っぽなキャラクターでしかない」というのは、俺の文脈でいえば「フラットキャラクター」ということで、富野ワールド的には、小説版の方がうまく肉付けされている気がするんだよな。
 富野由悠季は「フラットキャラクター」が嫌い、というのが俺の理解だから、かれが「寝た」ことにしたがったのもそれが理由じゃないかなと勘ぐっているんだよね。

 だから劇場版では男女の関係があった、というニュアンスの芝居に変更されていたので、「ええっ?」という驚きととも、「やっぱりやりやがったな」と得心がいくところもあったんだよね。
 肉付けしたいのはわかるし、劇場版ということで「わかりやすく」したいのは理解できるとしても、そこを変更してはダメでしょ、と思ったなー。ハマーン・カーンというキャラクターがいろいろ台無しじゃん。あとシャアについてもね。

 以前にも書いたことだけど、TV版との“格闘”の気配がない、というのは、こういうところにも現れているんだな。いろいろと安易なんだよ『新訳』って。

 ZZという作品は突き詰めると「ハマーンの救済」というものだ。主人公ジュドーの存在もそうだし、マシュマーなどのキャラもそうだ。そういう意味ではZZはコミカル調でよく揶揄されるが、富野作品あるいはキャラ論を論じたいなら、必ず無視できない一作だ。



 というkaito2198さんのご意見には、まったく同感で、メタ的にはフラットキャラクターから掘り下げられた、といえるし、ドラマ的にはジュドーという少年によって心情的に救われた、といえると思うんだよね。

 『機動戦士ガンダムΖΖ』という作品は、基本的にフラットキャラクターが活躍する話だったのが、やがてシリアスな方向へとシフトしていき、人間たちの物語になっていく。
 ハマーンもまたその軌跡をなぞったヒロインだった。

 ジュドーやシーブックは、富野監督から“遠い”がゆえに、キャラクターとして弱くなる。
 しかし富野由悠季から“遠い”キャラクターだからこそ、「作劇上の役割」しか与えられなかったハマーンやセシリーに、ほんの少しの息吹を与えることができたんじゃないかな。

劇場版『伝説巨神イデオン』について

 kaito2198さんの記事
 「伝説巨神イデオン 接触編・発動編」はヒットしなかったって、本当なの?
 から。

 俺は、資料性がなく主観的なこと、体験的なことしか書けないんだよな。そのへんは割り引いて読んでください。

 リアルタイム世代ですが、「『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』はヒットしなかった」という話は聞いたことないですね。

 初耳です。監督がそんなことを言ってたのですか。
 オタクでも何でもない剣道部の主将と『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』(とくに発動編)について熱く語ったぐらいですから、興行的に失敗だったという実感はなかったですね。

 ただ女子人気やプラモ人気はそれほどでもなかったかな、という感じは受けました。

 『機動戦士ガンダム』は観ていたけど、『伝説巨神イデオン』は観ていない、という人も相当いたことは確かです。

 劇場版『機動戦士ガンダム』はクラスメイトたちと観にいきましたが、『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』はひとり寂しく観に行きました。
 それくらいの熱量の差があったことも確かです。
 『機動戦士ガンダム』のような(TVで取り上げられるような)社会現象的な熱気はありませんでした。
 

 『イデオン接触編・発動編』は間違いなくヒットしたけど、大ヒットにまで行かなかった、つまりにその中間にいるくらいの上映実績を打ち出したアニメーション作品なのではないでしょうか。



 そんな感じだったかもしれません。

 『ルパン三世 カリオストロの城』は劇場で観たクチですが、劇場の空気の凍りついたようなシラケ具合はいまでも印象に残っています。
 『ルパン三世』を観に来たら「東映まんがまつり」だったというズッコケ感ですね。
 『ルパン三世 カリオストロの城』はTV放送で人気がでたと記憶しています。「映画」じゃなかったんでしょうね。
 『ルパン三世 カリオストロの城』のあと、宮崎駿は不遇の時代を過ごすことになるのはご存知のとおり。

 TVシリーズの『機動戦士ガンダム』の“失敗”のあと、富野監督も日本サンライズの巨大ロボットアニメの番組帯から降板しましたし。
 劇場版『機動戦士ガンダム』の人気はガンプラによるところが大きくて、どこまでが富野監督の凄さか、ちょっと不分明なところがありました。

 『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』で、富野監督の凄さが決定的に判明したのだと思っています。
 『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』は、宮崎駿の凄さが判明した『風の谷のナウシカ』に相当するんじゃないでしょうかね。

 もちろん『無敵超人ザンボット3』のような傑作、『未来少年コナン』のような傑作を知っている層からは、「なにをいまさら」だったんでしょうが。

 「ヒットしなかった」という言説は、『機動戦士ガンダム』がシリーズ化し、ガンプラふくめて産業として成立した後世からのバイアスがあるんじゃないかと思うんですよね。

 俺個人の実感としては、俺の狭い交友関係のなかで、『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』はコケた、という認識はないですね。
 コケたなら、「不遇の時代」を迎えていたんじゃないでしょうかね。

 TV『機動戦士ガンダム』の“失敗”に続いてTV『伝説巨神イデオン』も“失敗”するのですから、「しょせんガンプラブームがあっただけ」というアンチ寄りの劇場版『機動戦士ガンダム』の評価は、『伝説巨神イデオン 接触編・発動編』がコケたら、「ほらみたことか」となっていたんじゃないでしょうか。

 日本サンライズの巨大ロボットアニメの番組帯を降板しているのだから、富野監督は一コンテマンになっていたかもしれないかもしれないですね。

 しかし結果は「富野アワー」が復活するわけですから、それがすべてを物語っていると思います。
 

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プロフィール

shiwasu5

Author:shiwasu5
どんな奴か?
自己紹介。最終学歴は専門学校卒。(東京デザイナー学院アニメーション科)
小学時代→遊び時間と授業時間の区別がつかず。
中学時代→校内暴力をのびのびとエンジョイ。
高校時代→管理教育で次々と仲間が退学していくなかなんとか卒業。
浪人時代→二年間、進学/就職浪人をする。
本屋でバイト→本屋潰れる、古本屋でバイト→古本屋潰れる。クラブ通いで某事件を起こし警察に捕まったのもこの頃。
専門学校時代→馬鹿みたいに楽しかったが、周囲の才能に圧倒される。同期に吉田健一や長濵博史がいて、三人でつるんで歩いたこともある。やつらと較べた俺が間違いだった。
虫プロ入社。最低限の固定給が約束されているいい会社でした。『うしろの正面だあれ』の生活描写についていけず退社。絵が下手なのを実感。
バイト時代→バイトしながら漫画家を目指す。気に入ったコンテが描けず挫折。
デザイン系の会社のバイトから正社員へ。
現在は鬱(双極性障害)のため地獄を彷徨う。彼女と別れる。誰か背中抱いていてくれ。

好みの傾向
・アニメ五選(TVシリーズは除く)
『白い牙』
『機動戦士ガンダムF91』
『AIR』
『もののけ姫』
『アリオン』
・漫画五選
『メトロポリス』
『がんばれ元気』
『デビルマン』
『GANTZ』
『天然コケッコー』
・小説五選
『砂の惑星』
『狼の紋章』
『逃れの街』
『ながい坂』
『剣』
・映画五選
『ブレイブハート』
『ダークシティ』
『夜の大捜査線』
『用心棒』
『イージー・ライダー』
・音楽はわかりません。
世代的にいえば
サザン、YMO、尾崎、マイケル・ジャクソン、U2あたりが直撃です。
クリス・レアとかビリー・ジョエルとかも好きでした。(英語歌詞わからんけど)
・政治傾向
公武合体、天皇機関説、大きな政府、死刑廃止論者。
・女性の好み
シャアにとってのララァみたいな。
・男性の好み
元気くんのお父さん。
・富野由悠季の好きなところ
一生懸命なところ。

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