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ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

ガンダムという亡霊

 廣田恵介さんのblogで興味深い記事をみた。(

 富野由悠季はキャラクタービジネスの最前線に立っていない、という指摘がなされている。
 それは確かにその通りだろうと思う。

 俺が思うに、かつての富野由悠季なら、「脱ガンダム」ではなく「脱ガンプラ」を目指して作品を作っていただろう。
 既存の市場に満足することなく、新しい市場の挑戦者、開拓者として、彼は苦闘してきたからだ。

 『機動戦士ガンダム』がガンプラ市場を開拓して、いまに至るも大きな産業になっているのは、富野由悠季ファンとしては素直に嬉しい。

 嬉しいが、そこに甘んじている今の富野由悠季をみるのはつらい。

 富野由悠季は『機動戦士ガンダム』の成功のあと、そこに満足することなく、新しいコンセプトのロボットを描いてきた。

 戦艦としてのロボット、自動車としてのロボット。

 とてつもなく新鮮で挑発的なコンセプトだった。 

 「ガンダムの続編」が意味したものは、そうした挑戦が、結局は挫折したことを意味した。

 『機動戦士Ζガンダム』は、挫折の象徴なのだから、何があっても肯定してはいけない作品だった。
 劇場版をつくるにあたって、肯定できるように作り直すことは、果たして本当に正しかったのだろうか。

 富野由悠季がガンプラ市場に敗北した汚点として後世に残るべき作品ではなかったのではないだろうか。

 ガンプラ市場のなかの小さな異議申し立てとして、『F91』『V』『∀』がつくられることになるが、それが果たして成功したかどうか、プラモデルに疎い俺には判らないが、革命になりえなかったらしいというのは想像がつく。
 しょせんは、ガンプラ市場のバリエーションにしかなかったのではないではないだろうか。

 『キングゲイナー』や『リーンの翼』で、挑戦が見られただけに、『G-レコ』劇場版を制作しているらしい富野由悠季が過去を美化した思い出話をしてしまう現在は悲しい。

 廣田恵介さんは『仮面ライダー』や『プリキュア』といったキャラクタービジネスの最前線にいる人たちには緊張感があるという。
 マンネリをこそを恐れているというのだ。

 ではガンプラ市場は?
 ということなのである。

 ガンダムの四十年とは何のだったのか。

 バンダイを倒産させるような勢いをもったガンプラ市場の破壊者、そして新市場の開拓者は現れなかった。

 『Ζ』以降、完全にキャラクタービジネスの最前線から後退してしまった。

 団塊ジュニア世代という巨大市場、不況のなかの保守的な内向きの市場、そうしたものに寄りかかったビジネスが、ガンダムの四十年だったのかもしれない。

 富野由悠季にとって、この四十年は、屈辱であったはずだ。
 そうであって欲しい。
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ララァ・スンについて

 ララァ・スンは「大佐」と呼ぶ。
 ララァ・スンは敬語を使う。

 距離は?

 ララァ・スンは「女としての筋を通すだけ」。

 愛は?

 ララァ・スンはキスをする。
 ララァ・スンは確かめる優しいキスの痕跡。

 この優しさは誰か?

 ララァ・スンは愛することを決意できる。
 ララァ・スンは決意が愛にかわることを知る。

 それはいつ?

 ララァ・スンは息遣いが愛に変わることを知っている。

 ほんとうに?

 ララァ・スンは運命を知っている。

 ほんとうに?

小賢しさについて

 『機動戦士ガンダム』はやっぱり面白い。
 ようはメロドラマだからだ。
 しかも構造しかないメロドラマだからだ。
 何話から入っても楽しめる作品である。もちろん、何話からでも出ていける。
 気軽に付き合える作品なのだ。

 『伝説巨神イデオン』は気軽に付き合えなかった。
 物語がない。
 あるのは芝居だけだ。
 舞台がない。
 いるのは役者だけだ。
 前衛である。
 ヌーヴェル・ヴァーグもアメリカン・ニューシネマも否定する富野由幸がこれを作る。
 それは滑稽なことか?

 俺は小賢しい作品が好きだ。
 勉強になる作品が好きだ。

 富野小説で一番好きなのが旧『リーンの翼』である。
 『リーンの翼』は戦中日本を批判する書物としても読める。

 無知な俺は啓蒙されるのが好きらしい。
 勉強のフックを俺は愛する。

 小賢しい作品が好きだ、というのは、そういうことだ。
 笑うべきだろうか?

 俺のような落伍者と違って、真っ当な人間は忙しい。
 勉強は勉強、娯楽は娯楽と割り切るのが、人間の本来の健やかさだろう。
 たかだかアニメーション作品や小説などを読んで、頭がよくなったような錯覚をするのだから、バカは度し難いと言える。

 『機動戦士ガンダム』はどうだったか?
 俺を導いてくれたか?
 どこに?

 小賢しかったか?
 違う。

 『機動戦士ガンダム』は小賢しくなかった。

 『ガンダム Gのレコンギスタ』は。
 悲しいまでに小賢しい。

 富野監督作品は、いつからこんなに、難解になってしまったのか?
 富野由悠季は、いつからこんなに、小賢しくなってしまったのか?

 『機動戦士ガンダム』の四十年間は、十分な長さだったとでも言うのだろうか?

 小賢しさに堕していく。

 俺は好きだけどね。

新年あけましておめでとうございます。

 ガンダムもついに四十周年ですね。

 俺は十年もblogやっていたわけだけど、おかげさまで楽しい十年でした。
 コメントやトラックバックをしてくださった方々はインテリばかりで、学のない自分には勉強になることばかりで、たいへんありがったです。

 私生活は苦しいことの連続だったけど、現世に生きることは魂の修行だと思っているので、少しは人間的に成長できていたなら嬉しい。

 鏡や写真をみるかぎり、俺は童顔ではないと思うのだけど、いつも年齢より低くみられていたんだな。
 中学生のときは小学生に間違えられ、高校生のときは中学生に間違えられたことがあった。

 ところがこの十年で歳相応にみられるようになって、魂の修行がそこそこ成果を生んでいるのかな、と思いたい。

 年下の方に父性をみられることが多くなって、俺は富野由悠季や平井和正のように疑似的な“父”をやってみせていることができているのかな、と自省してみたりもする。
 このあたりは、今後のミッションなのかもしれない。
 柄じゃないんだけど、ちゃんと相談にのったり、ときには説教をすることができるようにならないといけないんだろうな。

 選挙を通しての政治参加が一番大事なのは確かだけど、それ以外でも政治的なふるまいができるようになれたらいいな、と思うんだな。
 俺はトランプ支持者だけど、人類は歴史の岐路に立っているな、とひしひしと感じている。
 わが日本国は「そこ」に気づいていなくて、非常に危機的状況にあるよなー。
 いまだに新自由主義だもの。どれだけ周回遅れなんだ。

 日本では共同体主義は無理だと思っていて、政治結社とかファシズムとかの時代は確実にくるが、それも一過性のものにすぎないなんだろう。共同体主義がぎりぎり機能するとしたら、日本では宗教になるんだろう。

 俺は俺なりの信仰、死生観があって、宗教団体には不向きというか、個人主義者だしね。

 日本では大きな政府という選択しかありえないんじゃかな、という気がする。
 あれも自由化、これも自由化、といった小さな政府論路線は、日本には向いていないんだね。

 究極的に言って、軍隊と警察、税務署しかなくなってしまうのが小さな政府論で、小さな政府ってだから暴力団と変わらない。だったら「暴力」を市民に還してください、としか言いようがないね。
 日本も銃社会にしてくれるのなら、小さな政府論も考えなくもない。

 ガンダムの魅力って、体制との距離感かな、という気がする。

 社会化される前の少年が、ほんの少しだけギフトされた「暴力」、それがガンダムなんだと思う。

ニュータイプについて

 ニュータイプについては、作品ごとに意味合いが違ってくる。

 初代においては、未来への希望として描かれている。
 エンドマーク後の人類がいつかニュータイプによる戦争のない世界をつくれるかもしれない。
 そんな予感がカツ・レツ・キッカという子供たちの活躍からするのだ。
 
 『Ζ』『ΖΖ』では基本的に霊能者だ。
 『逆襲のシャア』では剣豪同士の気の探り合いだ。

 『F91』では「パイロット特性がある人のことだよ」と説明される。“世俗化”されたわけだ。
 初代を除いた『ガンダム』シリーズの劇中でのニュータイプの活躍は基本的にパイロットのそれなので「パイロット特性がある人」というのはもっとも客観性のある認識だろう。
 しかしそうした身も蓋もない悲しい過去の事実を認めた後に「人類の革新、戦争なんか越えられるって説もありますよね」と再びニュータイプの理念が復活する。
 『F91』はニュータイプ概念の“世俗化”と“理念の復活”を同時にやっているわけだ。

 野暮な話をすれば、ニュータイプという言葉は本来、ミノフスキー粒子と同じく、作品上の都合のために考えられたものだろう。

 しかしミノフスキー粒子と決定的に違うのは、ニュータイプという言葉は「設定」化されなかったのである。「SFではない」というのはそういうことだ。

 この場合「SFではない」ということは素晴らしいことである。「設定」化してしまっては、ニュータイプという言葉は虚構のなかで完結してしまうからだ。「SF作品の一アイデア」になってしまう。

 ニュータイプは開かれた言葉だ。夢の数だけ存在していい。命名者すら、そのときそのときで、概念が変わってきた。

 しかし『V』では「戦争をしない人類の革新」を実際に敵役が起こそうとする。悪夢として。
 そのときニュータイプという言葉は力を失い、サイキッカーという超能力者に名を変える。

 こうしてニュータイプをめぐる夢物語は終焉することになる。

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プロフィール

shiwasu5

Author:shiwasu5
どんな奴か?
自己紹介。最終学歴は専門学校卒。(東京デザイナー学院アニメーション科)
小学時代→遊び時間と授業時間の区別がつかず。
中学時代→校内暴力をのびのびとエンジョイ。
高校時代→管理教育で次々と仲間が退学していくなかなんとか卒業。
浪人時代→二年間、進学/就職浪人をする。
本屋でバイト→本屋潰れる、古本屋でバイト→古本屋潰れる。クラブ通いで某事件を起こし警察に捕まったのもこの頃。
専門学校時代→馬鹿みたいに楽しかったが、周囲の才能に圧倒される。同期に吉田健一や長濵博史がいて、三人でつるんで歩いたこともある。やつらと較べた俺が間違いだった。
虫プロ入社。最低限の固定給が約束されているいい会社でした。『うしろの正面だあれ』の生活描写についていけず退社。絵が下手なのを実感。
バイト時代→バイトしながら漫画家を目指す。気に入ったコンテが描けず挫折。
デザイン系の会社のバイトから正社員へ。
現在は鬱(双極性障害)のため地獄を彷徨う。彼女と別れる。誰か背中抱いていてくれ。

好みの傾向
・アニメ五選(TVシリーズは除く)
『白い牙』
『機動戦士ガンダムF91』
『AIR』
『もののけ姫』
『アリオン』
・漫画五選
『メトロポリス』
『がんばれ元気』
『デビルマン』
『GANTZ』
『天然コケッコー』
・小説五選
『砂の惑星』
『狼の紋章』
『逃れの街』
『ながい坂』
『剣』
・映画五選
『ブレイブハート』
『ダークシティ』
『夜の大捜査線』
『用心棒』
『イージー・ライダー』
・音楽はわかりません。
世代的にいえば
サザン、YMO、尾崎、マイケル・ジャクソン、U2あたりが直撃です。
クリス・レアとかビリー・ジョエルとかも好きでした。(英語歌詞わからんけど)
・政治傾向
公武合体、天皇機関説、大きな政府、死刑廃止論者。
・女性の好み
シャアにとってのララァみたいな。
・男性の好み
元気くんのお父さん。
・富野由悠季の好きなところ
一生懸命なところ。

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