ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

フラットキャラクターは初期配置が大事

 いまさら気づいたことの(4)でも触れたけど、今回驚いたのは『ガンダム』の登場人物はフラットキャラクターだったということね。
 フラットキャラクターというのは、おとぎ話から、子供番組、水戸黄門のような作品にまで登場する作中人物の造形のレベルのこと。
 ひとりの人間が、現実世界のように、複雑な内面をもっているのではなく、人物ごとに分割されて表現されているのが、このテの作品なんだな。

 俺の場合、小説版のイメージに引きづられて、『ガンダム』の登場人物たちは、ひとりひとりが人間的な内面をもって造形されていてるとばかり思い込んでいた。
 今回初代TVシリーズを観て、その思い込みが間違っていたことを知って、少なからず驚愕した。驚愕したとともに、なぜ初代ガンダムは「見やすい」のか、敷居が低いのか、という点で、なるほどそういうわけだったのか、と納得もいった。

 TVドラマの作中人物の造形レベルは、たいていフラットキャラクターである。
 それには以下の理由があると思われる。

 ・伝統的説話世界の登場人物たちは、フラットキャラクターである。大衆芸能の本道ということ。
 ・複数のシナリオライターによって書かれるので、解釈に幅のある文学の登場人物のごときでは処理するのが大変である。
 ・視聴者が毎週必ず観てくれるとは限らず、微細な内面の連続性をもった登場人物では、一周見逃したら理解不能という事態にもなりかねない。

 フラットキャラクターは、いわば「お約束」の人物たちなので、視聴者の負担が軽いのである。
 初代、TV版『ガンダム』では、そのあたりが、敷居の低さにつながっていたのではないか、と思われる。

 「リーダー」ブライト、「ヒーロー」アムロ、「巨漢の人情家」リュウ、「皮肉屋」カイ、「チビ」ハヤト。
 『ガッチャマン』以来の五人ヒーローものの人物構成であり、その容姿とともに、視聴者が「がんばって」理解する要素はゼロである。「みたまんま」なのだ。「よくできている」。

 おそらくこのあたりの功績は、星山ー安彦ラインのそれだろう。
 ブライトがなぜ「脇役顔」でなけれればならなかったのか、といえば、この「わかりやすさ」をえるためであった。
 いわば、おそらく富野監督が目論んだアムロとブライトの二重構造(ダブル主人公)は、 『ガッチャマン』以来の子供番組のフラットキャラクターの初期配置の常道から外れていたのである。結果として、安彦デザインは、富野ドラマよりわかりやすさを選んだことになる。当然ガンダムの成功の前なので、それはそれで判断としてはありえただろう。

 また人物造形をフラットキャラクターとすることにより、世界観の部分でも、いわば隠喩が機能することになったのも、わかりやすさの一貫であろうか。
 初代、TV版『ガンダム』では、地球連邦政府とは、現実そのものであって、特定の政治勢力の隠喩ではない。現実全体のことだ。そのような隠喩が機能できるのも、人物造形のレベルがフラットキャラクターであったから可能だったわけだ。

 フラットキャラクターとして、わかりやすいのは、カイである。
 カイは、たとえば、連邦政府(現実)に対する態度では、ブライトと対極にある。
 年長組で現実への適応を果たしつつある青年ブライトは、現実が不完全であると知りつつも批判してどうなるものでもないという立場であり、それに対してカイは不完全なものは不完全なものとして批判してみせる、という立場でもある。
 その中間に主人公のアムロを置くことにより、現実に対する態度のグラデーションを、三人一組で表現しているわけだ。現実世界に対する複雑な思いが、三人の人物に分割されて表現されているということだ。
 観ていて、これは疲れない。

 また、終盤において、フラウとハヤトの恋仲を揶揄したカイに対して、いやらしいと嫌悪するセイラ、それに対して、いいじゃないですか、とアムロがいうシーンがある。
 ここでも他人の恋路に対する態度としての三分割であり、真ん中がアムロ、一方の極がカイという構成である。

 主人公アムロを真ん中におさめて、刻一刻と推移する事態を、リアクションの三分割として腑分けしてみせてくれるわけだ。頭が悪過ぎて小学生の俺には理解できなかったが、多少ナマイキな小学生高学年なら『ガンダム』は理解できる、という感触を今回はえた。
 
 「良質のジュブナイル」としてのガンダム、というのは、こうした側面のことだ。
 これは星山ー安彦ラインの功績だろうと、俺は考えている。



 富野監督はどうもこのフラットキャラクターがお好きではないらしい、という気がしている。
 監督が富野ではなくても成立したかもしれない『ガンダム』の「良質のジュブナイル」としての側面への抵抗が、「ニュータイプ論」になった、と以前書いたが、その見立てのなかでララァを見ると面白い。

 過去らしい過去を設定されていない『ガンダム』ワールドの登場人物のなかで、ララァだけは「過去をもつ女」なのだ。娼婦か、それに近い立場の女性で、その境遇からひきあげてくれたのがシャアであった、という設定である。

 だからこそ、ララァは、アムロに言えるわけだ。
 「あなたには戦う動機がない」と。

 これはしかしアムロだけの問題ではない。
 ララァ以外の『ガンダム』キャラすべてにいえることだ。なぜなら彼らはフラットキャラクターだからである。とんだちゃぶ台返しだ。

 もちろん、ララァはあからさまに「セックス」の匂いをさせるヒロインであり、その点でも「ジュブナイル否定」を狙う富野ワールドからやってきた刺客だった。


 星山博之と再び組んだ『∀ガンダム』では、冒頭「三人一組」が登場する。
 「男ふたり・女ひとり」で、フラットキャラクターとしては常道である。この三人一組を活用すれば、リアクションの三分割がなされ、「わかりすい」話になったはずである。星山博之が関わっているという点で、俺などは無意識のうちにそれを期待していたのだが、まったく活用せずに終わり、かなり「狭苦しい」印象の作品になってしまったな、と感じている。ファーストガンダムの「みやすさ」におよばなかったのはそういう理由があるのだろう。
 『∀ガンダム』に関しては、もう少し星山色が強かった方が面白くなったのではないか、という残念な思いが先に立つ。
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前略 貴方の記事を参考に、「映画(監督)にとっての登場人物」を「パト1」で考察しました。お出でいただけるよう、お願い申し上げます。草々

Re: トラックバックしました。

 トラックバック、ありがとうございます。
 たいへんたいへん遅れて申し訳ありませんでした。貴方のサイトにコメントしておきました。
 貴方の記事で、パトを知らない俺がパト1だけ観ても面白かったのか、やっと氷解しました。

きまオレに関しては節操のないファンです

前略 私のブログではフラットキャラクターを論じていたので本記事のコメントとしましたが、内容は私の好みについてです。『宇宙戦艦ヤマト 完結編』で沖田十三が復活した事情を理解した私なので、面白いと思う範囲は広いと思うのでした。草々

Re: きまオレに関しては節操のないファンです

コメント、ありがとうございます。

 俺の場合、ほんとうに狭量で、続編作品とかリメイクとかあまり楽しめないんですよね。大塩さんが羨ましい。

 以前にも触れましたが、超がつくリア充であるぼんぼんの東京貴族とでもいうべき人たちのお遊び文化が、好景気とともに下に降りてくるんですね。本物の東京貴族にはかなわないまでも、贅沢することがイケてる時代がありました。そうした風潮にアニメ業界の人たちはついていけなかったんじゃないかと思うんですよね。
 ですからトレンディドラマの先駆けという側面をくみ取ることができなかったんじゃないでしょうかね。

 わかりやすいのは原作『きまオレ』の舞台は青学附属がモデルなんですね。ぼんぼんリア充の恋愛模様でした。フラットキャラクター云々はおいておいても、早稲田アニメ研の望月が反発を覚えた、あるいは理解できなかった、というのは仕方がないのかもしれませんね。

梶原一騎の凄さ、今世紀になって気づく

前略 shiwasu5様 貴方が「梶原一騎的熱血もの」と指摘したので、以前解釈した「梶原一騎なるもの」をもう一回分析しました。教養小説論では内実が『巨人の星』で、形式が『あしたのジョー』と解釈しています。元々「『タッチ』が否定、回避したもの」の序論として考えた主題で。草々

Re: 梶原一騎の凄さ、今世紀になって気づく

コメント、ありがとうございます。

 『巨人の星』と『あしたのジョー』が違うタイプの作品であることは確かですよね。教養小説論での分類で内実/形式ということになる、というご指摘は非常に啓発されるものがありました。

 ネットにおける富野語りの大先輩であるおはぎさんの記事の孫引きになってしまいますが、

>巨人の星とあしたのジョーってさホントに並べられて、途中から巨人の星ってギャグのネタになっちゃったじゃない。あれかわいそうだよね。両方とも傑作だったんだよ。川崎のぼるってさ、いかに梶原一騎の原作を増幅して見せるかってことに心をくだいた人でさ、ちばてつやは原作を引きつけてともに生かして演出しようと思った人なんだよね。その差だけなんだよね。

といしかわじゅんが発言したそうですね。

富野由悠季監督と安彦良和さん、湖川友謙さんの関係性について
ttp://nextsociety.blog102.fc2.com/blog-category-112.html#entry2187

 俺が「梶原一騎的熱血もの」と書いていたとき念頭にあったのは『巨人の星』の方です。

 シラケの時代に『巨人の星』はギャグになってしまいましたから、それを回避する洗練化を通して野球ものをやるといったとき、『ナイン』系ではなく『みゆき』系の主人公をもってきたのだろうと思っていました。『みゆき』は当時、女の子が困っていても自分より強そうな相手だと見捨てる主人公像が評判になり、一種の社会現象になりましたよね。

 和也(初恋甲子園?)から達也(みゆき)へのバトンタッチは、あだち充のあらかじめの構想だったのでしょう。
 シラケの時代でも『タッチ』は見事笑いものにならず、熱血教養小説になったと思っています。

 作品論としては『タッチ』は『H2』より劣るという方もいるし、そういう面があることも確かですが、同時代を経験したものしかわからない凄さがあることは確かですね。

 自ら開拓したニューウェーブを自ら超克したという凄みは、あだち充以外では唯一『AKIRA』の大友克洋だけがもっていたと思っています。

 >「『タッチ』が否定、回避したもの」

 というのは非常に気になります。お時間のあるときにでも、記事にしていただけると嬉しゅうございます。

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プロフィール

shiwasu5

Author:shiwasu5
どんな奴か?
自己紹介。最終学歴は専門学校卒。(東京デザイナー学院アニメーション科)
小学時代→遊び時間と授業時間の区別がつかず。
中学時代→校内暴力をのびのびとエンジョイ。
高校時代→管理教育で次々と仲間が退学していくなかなんとか卒業。
浪人時代→二年間、進学/就職浪人をする。
本屋でバイト→本屋潰れる、古本屋でバイト→古本屋潰れる。クラブ通いで某事件を起こし警察に捕まったのもこの頃。
専門学校時代→馬鹿みたいに楽しかったが、周囲の才能に圧倒される。同期に吉田健一や長濵博史がいて、三人でつるんで歩いたこともある。やつらと較べた俺が間違いだった。
虫プロ入社。最低限の固定給が約束されているいい会社でした。『うしろの正面だあれ』の生活描写についていけず退社。絵が下手なのを実感。
バイト時代→バイトしながら漫画家を目指す。気に入ったコンテが描けず挫折。
デザイン系の会社のバイトから正社員へ。
現在は鬱(双極性障害)のため地獄を彷徨う。彼女と別れる。誰か背中抱いていてくれ。

好みの傾向
・アニメ五選(TVシリーズは除く)
『白い牙』
『機動戦士ガンダムF91』
『AIR』
『もののけ姫』
『アリオン』
・漫画五選
『メトロポリス』
『がんばれ元気』
『デビルマン』
『GANTZ』
『天然コケッコー』
・小説五選
『砂の惑星』
『狼の紋章』
『逃れの街』
『ながい坂』
『剣』
・映画五選
『ブレイブハート』
『ダークシティ』
『夜の大捜査線』
『用心棒』
『イージー・ライダー』
・音楽はわかりません。
世代的にいえば
サザン、YMO、尾崎、マイケル・ジャクソン、U2あたりが直撃です。
クリス・レアとかビリー・ジョエルとかも好きでした。(英語歌詞わからんけど)
・政治傾向
公武合体、天皇機関説、大きな政府、死刑廃止論者。
・女性の好み
シャアにとってのララァみたいな。
・男性の好み
元気くんのお父さん。
・富野由悠季の好きなところ
一生懸命なところ。

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