ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

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富野コンテとアニメコンテ

『機動戦士ガンダム』(初代、TV版)を毎日のように観る、というのは、ほんと楽しかった。
全話はとても観れなかったんだけど、それでも日々の楽しみとして、ある「独りゲーム」をやっていた。
その日に放映された話の絵コンテが「富野監督かどうか当てる」という、ゲームである。うっわーっ我ながら暗ええっ。

んで、俺のようなトーシロでも、結構な確率で当たるわけだ、これが。
それだけ富野コンテはちょっと特徴的なんだよね。

どう特徴的か、というと、「アニメっぽくない」という、ただその一言に尽きるね。
アニメ制作で一番負担になるのは作画なんだな。だから、アニメのコンテは基本、作画の省力化を意識しているわけ。
ところが、富野は、そういう、アニメの都合のために考え出されたコンテ作法を、かたくなに拒否しているの。

具体的にいうと、奥行きのある構図で、手前から奥へ、あるいは奥から手前へ、という動きで芝居をさせようとしているコンテは、富野コンテと思って間違いない(笑)。
実写映画ならごく普通のコンテなんだろうが、アニメだとあんまりやりたがらないんだよね。作画にかかる負荷ほど、商品性を高めるものではないので。
もちろん、スピーディなアクションシーンとしてなら、そういう構図で動かす、というのは、ありなんだけどね。

逆に実写ではやりたがらないで、アニメでは普通にやるのは、真横とか真正面の構図だよね。アニメはキャラ表にも真正面・真横があるくらいだし、マンガ的表現でも多いからね、いまさら違和感もない。
でも実写だと、真正面とか真横とかって囚人の写真だからさ(笑)、画面に変な緊張感が出ちゃうよね。緊張感を出したいときにアクセントとして使う構図だわね、実写では。
で、そういう真正面とか真横の構図がでてくるコンテは、間違いなく富野コンテではない(笑)。
さあキミも今日から富野コンテ当てクイズを独り寂しくやるのだ。

富野コンテ回ってだから、作画が(無駄に)キツそうだな、と思うこともあるんだけど、軽々と富野コンテの負荷を乗り越えている回も多い。そういうときは決まって作画監督は安彦良和。
でもね、この頻度で各話作監をやっていたら、そりゃね、倒れますよ。天才ゆえに無茶ができて、それゆえに倒れてしまった、という悲劇なんだろうなー。
安彦良和が倒れた後、現場を支えた青鉢芳信さんとかの絵柄も、じつはけっこう好きだったけどね。
アムロが男臭く描かれていて、ストーリーの「流れ」を感じさせてくれた。「大河ストーリー」を幻視させるような塩梅になっていた。


んで最近ちょっと面白かったのは、『とある科学の電磁砲』第七話。八谷賢一コンテ回。
俺の好きな『天地無用』の2期3期の監督をやっている人で、日常的な人間ドラマも、マンガ的なノリも、両方こなせる人。
現代マンガ、現代アニメを、きちんとやれる人、ということね。

この『電磁砲』第七話では、普通にアニメコンテで叙述していって、話のポイントのところ、視聴者に「ん?」と違和感を覚えてもらうところを、奥行きのある構図で手前から奥へ、奥から前へというシーンをつくっているんだな。
もう実写と逆の発想になっていて、「おお、アニメコンテもここまで定着しているのか」と、感心してしまった。アニメはもうひとつの映像の型をつくっているんだなーと。


そういう意味では、富野由悠季はアニメ界に迷い込んだ映画監督なんでしょうね。
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コメント

はじめましてshiwasu5さん
大変興味深く読ませてもらいました

映画は演劇という尻尾がついていると指摘されてましたが
アニメにはもうひとつ、漫画という尾ひれがついているというのが個人的な考えです。

メーター出身の方はせっせとコマの中に画を描くようにコンテを切っていた
当然コマの外にどういう世界が広がってるか、意識を向けたことなんかないし
カットを割らずに棒立ちの人間が横向きに会話しているのなんてザラ

そういう時代のテレビアニメ界に映画界から迷い込んだ、富野が「カメラによる視点」という概念を持ち込んだ

まず撮られる舞台、世界、キャラクターを念頭に置いて
そこからどういう画を切り出すかでカメラポジションを決定する。
これが富野コンテが映画的でテレビアニメ界では異質である由縁だと思います。
(無論高畑師匠の影響が大でありますが)

だから漫画のコマという概念を中心にして、そのコマの中でめいいっぱい動かすことを考えていたメーター出身の大塚が
カメラポジションにやたらと拘る映画畑の富野を腐していたのも分からなくもないかなあということです

どうもはじめまして。すごくご返事が遅れてごめんなさい。

日本のTVアニメがマンガの影響を受けているのは仰るとおりだと思います。
アニメーションはそのままでは「映画」にならないですから、アニメーションの官能性を追求していきたいタイプからすれば劇映画の論理とどう落とし所をつけるかというテーマがありそうですね。

お返事ありがとうございます

>アニメーションの官能性を追求していきたいタイプからすれば劇映画の論理とどう落とし所をつけるかというテーマがありそうですね

そうですね、平たく言ってしまえば「ディズニー芝居」(動かすこと自体が面白い)と「演劇」の兼ね合いですね
ベティーちゃんが腰を振り振りしてるだけでは「劇映画」にならないですものね

手塚さんがリミテッドアニメの方向に進んだのは、「演劇」や「表現主義」「客の想像に委ねる日本の能楽、人形浄瑠璃文化」を考えた上での決断であり
(そうでなければ実験作でもわざわざリミテッドにするということはしないとおもいます)
予算だけの問題ではない気がします

Re: タイトルなし

>手塚さんがリミテッドアニメの方向に進んだのは、「演劇」や「表現主義」「客の想像に委ねる日本の能楽、人形浄瑠璃文化」を考えた上での決断であり
>(そうでなければ実験作でもわざわざリミテッドにするということはしないとおもいます)
>予算だけの問題ではない気がします

ああ、なるほど! これは考えもしませんでした。そう考えるといろいろと胸落ちしますねー。
勉強になりました。

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