ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

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『機動戦士Ζガンダム』について 1/3

 なぜ富野由悠季が『ガンダム』の続編をつくる気になったのか、長い間俺にはさっぱり理解できなかった。ただただ、商業主義に富野が負けた、ガンダムが負けた、という悲しい思いしか抱けなかった。

 しかし最近wikipediaで初めて知ったのだが、『Ζ』は永野護をメカデザイナーとして起用する予定だったらしい。キャラは安彦良和、メカは永野護だ。
 つまりガンダムを“マクロス以後”のリアルロボットアニメにアップデートするのが目的だったのかな、というのが最近の俺の理解だ。
 ガンダムブームでアニメ業界に入ってきたガンダム世代の先頭、当時二十代だった若者たちにガンダムをつくらせたい、というスタッフワークありきの仕事だったのではないか。

 新世代の登用ありきの企画である、と見立てると、俺が長年『Ζ』に対して抱いていた疑問がいろいろと払拭できるのだ。

 たとえば『Ζ』のロボットバトル。
 ロボットアニメの本来の構造論であれば、ロボットバトルはカタルシスを与えるためのものだ。そうであればこそ人間ドラマパートは製作者の自由にできる。長浜忠夫以前からロボットアニメがときとして良質のオリジナルドラマを描いてきた理由である。
 しかし『Ζ』はロボットバトルでカタルシスをえることがほとんどない。主要登場人物の操縦するロボットはたいていバトルすることがあっても決着がつかないで(せいぜい小破ぐらいで)戦闘を切り上げることになる。
 作劇の都合で登場人物を殺したくなくても、せっかくメカに乗っているのだから、メカだけドカンと派手に大破させれば、エンタメとしてスカッとするのに、なにもったいぶってんだ、と観ていてイライラしていたものだ。
 ロボットアニメのアドバンテージをなんで活用しないのかな、エンタメにする気あんのかな、と不思議に思ったものだが、新世代のメカありきの企画でもある、となると、通常のロボットアニメにおけるヤラレメカ的な扱いができなかったのだろう、と最近やっと気づいた。

 こうしたことは、結局ドラマパートにもしわ寄せがくることになった。
 主要登場人物が全員パイロットなのだ。全員、ロボットに乗る。主要ロボットの数を増やすためだ、と考えればこの措置も理解できる。
 しかしおかげで、恋人は軍人(でパイロット)、ライバルは軍人(でパイロット)、先輩は軍人(でパイロット)、後輩は軍人(でパイロット)、という狭い世界の話になってしまった。
 きわめて狭い世界の話だけで無理やりドラマをやろうとしたのが、『Ζ』であった。そりゃ無理がある。そんな無理のあるドラマパートもまた当時二十代の若い脚本家に任せたのだから“難解”になるはずである。

 『機動戦士Vガンダム』の製作時、富野と対立したバンダイのプロデューサーが、おそらく望んでいたのが、この『Ζ』のような作品であったと思う。10年早すぎたともいえる。しかし『Ζ』は、商業的には、初代『ガンダム』と違って、いきなり成功したらしい。そりゃそうだ。

 その後の、『V』製作時の軋轢を踏まえて『Ζ』を振り返ると、「も~なに墓穴掘ってんすか~」という気分になる。
 しかし当時のスタッフワークとしては「正しかった」んだろうな、と今の俺は考えている。それが『Ζ』のいちばんの宝物なのかもしれない。
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コメント

結果的に

 『Z』という作品は、当時の八十年代リアルロボットアニメの総決算というか集大成の役割を担ったという感じですね。

 だからこそ単に初代だけでなく、他の富野作品や別会社作品の影響すらも大きい。

 そしてそれに止めを刺すとすれば、やはりカミーユという強烈なキャラを作り上げた点に尽きる感じで。

Re: 結果的に

 コメント、ありがとうございます。

 以前、絵の木さんに「集大成してしまうところがビョーキなのかもしれませんよ」とご指摘を受けたのですが、俺などもこの頃の富野はいろいろキツかったのかなと想像しています。富野はすでに「ネタ切れ」をおこしていて、過去作の手癖に頼ったと感じました。だから過去のネタの集大成になっている。『イデオン』の全裸幽霊はじめ『ザブングル』『ダンバイン』『エルガイム』などが混じっていて、初代の“正統純血種”ではなかったという理解です。初代世代としても富野ファンとしても残念に思ったところですね。

 非富野アニメには疎いのですが、そうですか、「八十年代リアルロボットアニメの総決算」という見かたもあるんですね。それは富野ファンとしてとても気分がいいです(笑)。

 カミーユは「キレる少年」という設定だけでも時代を先取りした傑出したキャラクターでしたね。それがあの展開ですからね、ちょっと他に類を見ないですよ。
 新訳も素敵なんですが、やはり俺はTV版のカミーユが好きですね。『ΖΖ』でも病床にありながらニュータイプ的感応でジュドーを導く場面があって感動したことを覚えています。

ヒロインが出る

 EDの部分を見ると、むしろ『ダグラム』的な部分もありますからね。

 単に嫌悪するだけでなく「政治」や「権力」とも真っ向から絡むという点でも、むしろそちらに近い感じがありますし。

 カミーユはエキセントリックな面もありながら、次第に落ち着きと深みも持ったキャラに成長していくのが魅力でしたね。

 それで時には「古女房」にもとっちめられたりしながら。

Re: ヒロインが出る

 コメント、ありがとうございます。

 俺は『ダグラム』は途中で挫折しちゃってよく覚えてないんですよね。

 平井和正との対談で富野が『幻魔大戦』を「組織論」として読んだという発言があるんですが、『Ζ』が富野なりの「組織論」であったのでしょうね。それが権力闘争、政治劇はつながると。

 カミーユは「キレる少年」から「思慮深い社会人」に一端成長するのがミソなんですよね。しかしそこからまた「虚無をかかえた少年」になっていく。たんなる成長物語になっていないところが俺には魅力的でした。

後の『キングゲイナー』で

 いきなり1話の冒頭に「組織」が出てくるのもポイントでしたね。

 「巨大化すると知恵が働く」とか。


 あの聖作品の『超人ロック』も「国家」や「会社」を引き合いに出しながら様々な組織論をやってますね。

 たとえば「組織に意識はない。ただしなにがなんでも生き延びようとする本能はある」とか。

Re: 後の『キングゲイナー』で

 コメント、ありがとうございます。

 『キングゲイナー』の場合、組織との戦いがテーマですからね。組織抜きでは語れませんよね。
 ただし組織内部の確執は描かれないのでシンプルで楽しい作品になっていたと思います。

組織内部のドラマとしては

 むしろエクソダス側のドラマとして描かれてますよね。

 まあかなり軽いノリとしてですが。

 「うーみーはひろいって、ほんとーかい?」って。

Re: 組織内部のドラマとしては

 コメント、ありがとうございます。

 そうですね、そのとおりだと思います。
 『キングゲイナー』の場合、組織を描くというより生活を描くという印象が強いですね。

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