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ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

平井和正逝去

 富野由悠季とも対談しており、かれに『めぞん一刻』を読ませて、「とてもスリリングですね」という名台詞を言わせたのが平井和正という小説家である。
 また平井は初代『機動戦士ガンダム』を評して「ようするに『十五少年漂流記』ですね」とズバリ喝破したことも印象深い。
 (そのあたりはガンダム初期企画を採用した『銀河漂流バイファム』という作品もあるくらいだ)
 そのあと、平井は、自作『幻魔大戦』のコンセプトも“漂流する子供たち”という点で、『機動戦士ガンダム』と通底していると言及する。

 高度経済成長の熱気も全共闘の熱狂も過去のものとなり、世はシラケとトライブごっこに明け暮れた時代であった。
 大人はいい。金持ちのぼんぼんもいい。ようは金があれば熱気も熱狂も忌避された時代である。それらは「ダサかった」のだ。

 好景気とともに金持ちのぼんぼん道楽文化は大衆レベルまで降りてくる。夏はサーフィンや避暑地のテニス、冬はスキーだ。
 俺の場合、それらには愛憎半場する気持ちがある。それらを享楽しまた憧憬もあったからだ。

 しかしアニメにしろ小説にしろ貧乏人の娯楽である。どこぞのレストランがどうのどのクルマがどうの時計がどうのといった本当のトライブごっこには参加できない自分も自覚していた。
 多少の小金持ちはのちに俗にいうサブカルだのオタクだのというトライブごっこを発明するが、俺にはそれすらも惨めな思いで見守っていた。

 『機動戦士ガンダム』と『幻魔大戦』の時代とは、まともな大人、真剣に子供たちに語りかける大人がいなかっった時代である。

 なぜそれらがヒットしたのかは、これでおわかりだろう。
 
 たとえそれが間違っているかもしれないが、そこにはたしかに「真剣な大人」たちがいたのだ。
 
 “時代”に違和と疎外を感じていた若者たちが、それらの作品とその作家たちに惹かれたのは当然のことのように思える。

 その平井和正が世を去ったというのは、自身のこころの一部を喪失したような悲哀がある。

 ご冥福をお祈りします。  

 アニメ監督では富野が、小説家では平井がいちばん好きである。
 富野作品と違って、平井作品の場合はある時期以降の作風についていけず読者であることをやめてしまったが、尊敬の念はつねに抱いてきた。
 人生の師といっていい、それぐらい影響を受けた作家たちである。

 富野と平井、といえば、世代的なものもあるが、ファザコンをこじらせた若者、というのがピンとくるかもしれない。ハマるのがマルクスか麻原かで世代の違いがあるのと同じである。
 俺もそういったものにハマる危うさをもった若者だった。富野教や平井教でほんとうによかったと思っている。

 厳密な意味では通過儀礼は近代以後の世界には存在しない。
 世界から意味を脱色したのが近代以後の世界にほかならないからである。全体性の留保といってもいい。そこに近代以後の知がある。
 近代以後の世界では、宇宙的意味を帯びた、部族の戦士や部族の母にはなれないのだ。

 とはいえ、人間は人間である。いづれ近代以後の世界に生きることになろうとも、宇宙的意味を求めるのは自然なことだ。
 全共闘もオウムもその文脈で考えると同じにみえる。若者たちは宇宙的意味を帯びた“戦士”にならんとしたわけだ。

 しかしこれは通過儀礼の不幸な陰画である。意味なき世界から青春の熱狂を通過して意味なき世界に帰還するものだからである。
 また帰還しなければ、ただの反社会的な政治ゴロや宗教ゴロに転落するしかないのが、近代以後の世界を生きる「大人」というものである。

 富野教や平井教でよかったのは、そうした“聖戦士”をあくまでフィクションの世界で描いてきた点にあるだろう。
 そこには通過儀礼の熱狂がないかわりに、意味なき世界を生きる大人たちの後ろ姿がみえていたからである。
 そこに希望があったのだ。いやそこにしか希望がなかったのだ。意味なき世界、“父”を知らない若者には。


 さらに追記
 いや「政治ゴロや宗教ゴロ」は言いすぎた。
 信念や信仰をもった人々を貶める言い方であり軽率だった。

 とくに「表現の自由」をめぐって一騒動あったばかりなので、近代以後の諸価値も“近代教”に回収されることを失念していたことを恥じる。

 また富野教や平井教に“通過儀礼の熱狂”がなかったというのも冷静に振り返れば嘘になる。
 たしかにそこには“青春の熱狂”があったように思う。ただ富野や平井はそれを(作品人気以外に)利用しないでおいてくれたのだ。そこに敬意と感謝をもつべきであった。

 また金持ちのぼんぼんがどうのという話は東京あるいは首都圏というイナカの話であって誤解を招いたかもしれない。ぼんぼん道楽の一部大衆化の背景には大人たちの商業的戦略があったことも書き忘れていた。

 どうやら相当動揺していたらしい。普段以上にヘンテコな文章になってしまっているが、その動揺ぶりをふくめて、あまり手を入れないでおこうと思う。


*2015年10月27日 生頼範義氏がお亡くなりになりました。

平井作品の多くの表紙、挿絵を担当した画家でした。
情念とダイナミズムの作家平井の作風をもっともうまく表現してくれたひとでした。
画集を買うくらいファンだった。無謀にも模写しようとして挫折したのはいまとなっては苦笑ものの思い出です。

ご冥福をお祈りします。

まいった。こうして先人たちをお見送りして歳をとっていく。俺はまだコドモだというのに。

●2017/05/12 追記
 俺にとり“平井和正”とは何者だったのか。

 ニュータイプという言葉は開かている、と書いた。フィクションのなかで完結していないと。

 平井和正の諸作品もそうしたところがある。「狼の時代」だろうと「幻魔の時代」だろうとフィクションのなかでは完結させない。
 「狼の時代」の平井和正は狼の高貴さを信じていたし「幻魔の時代」の平井和正は幻魔の存在を信じていた。

 俺はどうだったろうか。たしかに強い影響を受けた。しかし信じるところまではいかなかった。
 それは平井和正が“揺れる”作家だったからだ。そのときそのときで“凝っている”思想が変化するのである。思想遍歴といっていい。
 俺が興味をもったのは、そのときそのときの思想ではなくて、遍歴する、せざるを得ない、“人間”のかれの方だった。

 平井和正は60年安保闘争に挫折した男だ。純文学志向で大江健三郎のファンでもあったが、かれのヒューマニズムについていけず勝手に絶縁状を書いた男でもある。
 そんな平井を救済したのがSFであった。もちろんこの場合のSFとは日本SF第一世代のそれであって、第二世代以降のそれではない。
 かれはSFで「人類」という概念に出逢った。体制反体制問わず、人間がもつ加害性を、「人類」というレベルで理解することができるようになった。

 平井和正は“あらかじめ世界を奪われた”男だった。
 星新一の非政治性や小松左京の学際的世界像に触れ尊敬と憧憬を持ちながら、それでも“世界”を探し続けなければならなかった。かれの思想遍歴はインテリのそれではなく、もっと根深いもの……幼児のそれであった。

 俺が平井和正に惹かれた理由はさまざまだが、迷子の幼児のような必死さで“世界”を求める姿勢に胸を打たれた。
 その思想遍歴のなかにあって、かれはその都度その都度、つねに真剣に読者たちに語りかけてきた。まるで“世界の真実”をついに見つけたかのように。

 俺はそんなかれが好きだった。

 かれの思想遍歴の途中で別れを告げることになったのは、だから寂しいものがあった。
 「疲弊」というよりも「衰弱」としか言いようのないかれなど、見たくもなかった。

 平井和正の逝去は悲しいものだったが、「お疲れ様」という気持ちの方が強かった。衰退し老いた姿が忍びなかったからだ。

 例えばこれが手塚治虫や出崎統になると違う。かれらには「お疲れ様」と言う気になれない。
 いまだ死を認められず、どこかで新作を待ち望んでいる俺がいる。かれらとは不思議とどこかで巡り会える気がする。

 富野由悠季はどうだろうか。
 かれは奇跡の爺さまである。老いてなお処女作の熱気をもった作品をつくってしまう爺さまである。長生きしてほしい。
 かりにその日がきたとしても「お疲れ様」という気にはならないだろう。
 手塚治虫や出崎統のときと同じような気持ちになるに違いない。

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コメント

遅ればせながら

この方の作品を知ったのは『狼の紋章』で、後に『エイトマン』の原作であるのも知りました。

比較的に最近読んだのは『死霊狩り』で個人的にはこれが一番好きです。

Re: 遅ればせながら

 コメント、ありがとうございます。

 『狼の紋章』は美しい作品ですね。
 シリーズ化などせずあそこで完結していればよかった、自分はあそこで完結したと思って評価している、と言ったのは伊藤典夫ですが、平井信者時代は反撥したものの、いまとなっては彼が正しいと思い直しているところです。

 敵にボロボロにされ血塗れの少年主人公と、敵に凌辱された半裸の担任女教師の、悲壮ともいえる場面における軽口の応酬は、今作の精神的なクライマックスでした。大藪春彦の影響下の「狼の時代」の作品ですが、『狼の紋章』は少年と女教師の純愛小説なんですね。『黄金の少女』はまるでハリウッド映画のようで好きですが、結局最終章『犬神明』の作者の衰弱ぶりをみると、終わりどころを間違えたとしか言いようがないと思っています。

 『死霊狩り』は、大藪春彦と平井和正とどちらを読もうと悩んでいたところ、44オートマグの存在意義(笑)をうまく利用している点で、後者を選んだことを思い出します。
 一番うまくまとまっている作品で、ひと様に大手を振っておすすめできる作品ですね。

 20代で『エイトマン』、30代でウルフガイシリーズ、40代で幻魔大戦シリーズと、30年間にわたって作風の違う作品でベストセラーを書き続けたことは、驚嘆に値します。学生デビュー組ですから、前世で(笑)、よっぽど修練を積んだのかなと神秘主義者の俺などははんば本気で思っています。

 リンク先の『機動戦士ガンダム00』への影響ですが、黒田洋介は俺と同年代なので、もしかしたら……という可能性はあるかもしれませんね。

 (「ガンダム」ビジネスの中興の祖の作品群である)『SEED』は4話で、『00』はAパートで挫折してしまいました。

 どうしたらJINさんのように、あれもこれも、と楽しめ、記憶し、論評できるのか、俺のような知能の持ち主には羨ましいかぎりです。生まれ変わったら(笑)、知能の高い人の視野がどんなものか、体験したいものです。

 『00』Aパート挫折組にとって、どれぐらいの話数から楽しめるようになれるのか、もしもアドバイスがあるのならお教えください。

第二作以降では

神明を経由してむしろ西条が主役的になっていく感じですね。

「レクイエム」なんかはほとんど西条が主役で、明らかに作者も犬神以上に感情移入しているというか。

また虎4も再生後は犬神離れしていく感じで。

あと特筆はやはりパットンで、こちらもキンケイド以上に存在感を高めていったわけですが。

忘れてましたが

「ガンダムOO」について本格的に面白くなるのは第二クールからというのが自分の感想。

それまでとにかく第一クールは耐えて下さいとしかいえません。

特に注目はサーシェスでしょうか。

Re: 第二作以降では

 コメント、ありがとうございます。

 仰るとおりだと思います。

 物語を途中で見失ってしまうところが、平井和正の欠点ですね。

 少年犬神明の「ドラマ」は実質的に『狼の紋章』で終わっているのに、「ストーリー」を追ってしまう。
 で、キャラクター主義ですから、実質的な主役交代を繰り返すことになる。

 初期の短編や中編を読むと構成力のある方ですから、星新一が危惧したとおり、シリーズ小説を書き続けた弊害なんでしょう。

 その弊害は幻魔大戦シリーズで酷いこと/破天荒なことになるわけですが。

 パットンは初登場シーンが鮮烈でしたね。あっという間に読者の心をつかんでしまいました。

 『黄金の少女』はウルフガイシリーズの一編として書かれるのはもったいなかった気がします。
 きちんとそれだけで完結させることができたら、『死霊狩り』以来のキャラクター主義と構成のバランスがとれた作品になりえたかもしれないと思っています。

Re: 忘れてましたが

 コメント、ありがとうございます。

> 「ガンダムOO」について本格的に面白くなるのは第二クールからというのが自分の感想。
> それまでとにかく第一クールは耐えて下さいとしかいえません。

 マジですか(号泣)。
 ワンクール耐えるって……。
 本格的なオタクの人って、他分野の本格派の方と一緒で、体育会系ですよね。

 現在鬱で集中力が持続しないので、視聴マラソンは無理ですね。レンタル屋にあれば、一話一話ゆっくりと観ていくしかないかなー。それをワンクール。そこまで根性あるかしら。

> 特に注目はサーシェスでしょうか。

 サーシェスですね。覚えました。どんなキャラクターか、リンク先の書き込みをふくめて興味が湧いてきました。

 アドバイス、ありがとうございます。

 非富野ガンダムは関心の外だったんですが、『AGE』『鉄血のオルフェンズ』と視聴に成功したので、ガンダムビジネスを中興したという『SEED』『00』はおさえておきたいと思うようになったんですね。

 まあ作品は逃げるわけではないですし、いつか挑戦してみます。

ガンダムAGEは

絵柄の可愛らしさと内容のハードさの対比が双方に誤解された感じですよね。

「百年戦争」というテーマからすれば、本来出来ればフリット死後の「第四世代」による最終決着を映画でやりたかったのかもですが。

とにかく本作最大の扱いはイゼルカントですよね。

この男の「大往生」を許した、というより許さざるをえなかったという点に最大の核心部分がある感じで。


『死霊狩り』に関しては、漫画の時点にあったエピローグの部分を削って、島の壊滅で終わらせたのがポイントですよね。

果たしてその意味するところは。

数年前に中断の梁慶一版も残念でしたね。

中断部分の「魔女の標的」など、短編をアレンジしての、より攻撃的なゾンビーとの攻防戦を描いていただけに。

Re: ガンダムAGEは

 コメント、ありがとうございます。

> 絵柄の可愛らしさと内容のハードさの対比が双方に誤解された感じですよね。

 『機動戦士ガンダムAGE』はとにかくもったいなかったですね。
 絵柄にしろ内容にしろ、素材は素晴らしいと思うんですが、調理の部分で損したな、という気がします。
 
 可愛い絵柄で話はシリアス、というのは昭和のテレビ漫画では珍しくなかったですよね。
 「世界名作劇場」しかり『ガンバの冒険』しかり。
 
 キッズ向けの作品ってそれほど観てませんが、俺の知る狭い範囲でいうと、今は一話完結型が多いんですね。
 大河構造をした児童文学路線がなくなってしまって。

 そこに「子供むけ」「大河構造」「ファミリーサガ」「ガンダム」ですから、大博打ですよ。そういう“挑戦”って俺は評価しますね。そういう“挑戦”こそガンダムスピリットだと思っています。

 プロット主義のライトノベルをアニメ化するとき、アニメスタッフが、原作を調理するでしょう。主に登場人物の心情を吹き込んで、いわば文芸性を付与している。
 『AGE』では、そういうアニメスタッフ側の意気が感じられませんでした。

 いや誰かを戦犯呼ばわりしたいわけじゃなくて、日野晃博が前に出すぎたともいえるし、アニメスタッフ側が遠慮しすぎたともいえるのかな、と傍からはそう見えました。

 視聴率や玩具の売り上げはわかりませんが、俺は『AGE』好きですよ。

 イゼルカントの「大往生」というのは、仰るとおりで、『AGE』という作品がどうも不完全燃焼で終わったらしい、と暗示させますね。


 小説『死霊狩り』に関しては、あそこで終わってよかったな、と思っています。
 結果的にウルフガイシリーズや幻魔大戦シリーズの二の舞にならずにすみましたから。

 『デスハンター』はともかく、梁慶一版は読んでないんですよ。
 コミカライズってどうも興味がなくて。泉谷あゆみのウルフガイも読んでいませんし。

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