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ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

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『ガンダム』の挫折

 『機動戦士ガンダム』のラストでは、カツ・レツ・キッカという次世代の子供たちが、「じつはニュータイプだった」という意外な展開で、その能力を発揮して、アムロを救済する。
 それまで「お荷物」以外のなにものでもなかったチビちゃんたちが、ラストにおいて主人公を救うのだ。これは美しい。
 そしてそれは「セックスを描かない」という制約のなかで「世代の継承」や「次世代への希望」を見事に描いてみせたことになる。つまり見事なまでにジュブナイルとしてのラストシーンなのだ。

 今回あらてめて見直して痛感したのは、『ガンダム』はジュブナイルだった、ということである。
 ガンダムの前にガンダム的なものはなかったので、「子供向け」につくらざるをえなかった、という事情もある。
 しかし、それ以上に、おそらくメインライターの星山博之、作画監督の安彦良和の才能と資質が、『ガンダム』をジュブナイルの方向に引っ張っていったのではないかと想像している。

 『ガンダム』のドラマが好きだ、というタイプのファンの間で評判がいいエピソードは、たいてい星山脚本回なのだ。安彦良和があげる『ガンダム』の良さを象徴する回のすべても星山脚本回である。
 星山脚本の魅力は、児童小説のジャンル分けでいえば「小学生高学年から中学生以上が対象」のヤングアダルト向けの作品がもっているそれだ。子供が現実の苦さを舐めて、それでも前にすすんでいく、という面白さである。
 また安彦良和も、作家としての彼は、大人の男が描けないという問題を抱えていて、子供から若者までを主人公に彼らの主観世界を描いたとき、その才能と魅力をフルに発揮するタイプである。

 二人の天才ジュブナイル作家を要所に配した『ガンダム』という作品は、高畑勲の影響も受けている富野監督の下、ジュブナイルとしての魅力が横溢している。『ガンダム』は好きだが、他の富野作品は苦手、というひとは、おそらく星山ファンである。
 ジュブナイル作品というレベルでみたとき、『ガンダム』は間違いなく成功した作品である。
 しかし、『ガンダム』は決して成功した作品ではなかった。ジュブナイルに徹しきれてないからだ。

 「ジュブナイルはいやじゃー」と必死に抵抗したメインスタッフがいるのだ。
 当の富野監督である。

 メインヒロインとして設定・造形されているはずのフラウ・ボゥを降板させて、セイラを登板させたのは、監督の意思のあらわれである、とにらんでいる。
 「セックスを描かない」ジュブナイルのレベルでみれば、セイラは本来「シャア物語のヒロイン」として設定・造形されていることがわかる。セックス、恋愛が御法度であれば、敵味方に分かれた男女の物語は、兄妹ということにするしかない。「セックスを描かない」という制約をもったジュブナイルがそのなかでドラマをつくっていくときのすり抜けの技法のひとつである。
 そのセイラを、アムロの性的成長物語のラストピースにしようと、担ぎ出したのが、おそらく富野監督であった。

 富野メモをみると、ニュータイプ論やセックス論を『ガンダム』で扱いたい、というのは、ジュブナイルで終わりたくない、という思いから出てきたものらしい。
 「ジュブナイルはいやじゃー」が先だったらしいのだ。
 なぜなのだろうか。

 じつは当時、チビ向けにロボットバトルを魅せ、ヤングアダルト向けにドラマを魅せる、という「ロボットモノ」は存在していた。
 そう、長浜忠夫監督の熱血ロボットモノである。
 長浜作品を横目に見ながら、『ガンダム』に向き合ってみると、それほど突出した作品ではないことに気付かされる。
 「子供向けによくこんなドラマやったね」と後年評価される『ガンダム』のドラマ性は、じつはすでに長浜作品でも描かれていたわけだ。

 おそらく、ジュブナイルで終われば、長浜忠夫に勝てない、負ける、という思いがあったのだろうと思う。
 また“ジュブナイルとしての『ガンダム』”の魅力は、監督が富野喜幸でなくても成立する、という自覚もあったのだろうと思う。星山-安彦ラインの功績だからだ。

 「ジュブナイルはいやじゃー」と富野監督が抵抗したのは、だから死活問題だったといってもいい。
 『ライディーン』で低視聴率に苦しめられ監督を降板させられ、その後釜の長浜監督はその後のシリーズも任されて商業的にも評判的にも成功する。
 ジュブナイル作家としての資質はアニメーション業界ではなくてはならないものなので星山博之が食いっぱぐれることはない。天才アニメーター安彦良和はむろんのことだ。

 『ガンダム』をジュブナイルで終わらせず、なんとか突出した作品にしなければならなかったのは、富野喜幸が業界で生き残るためにどうしても必要だったわけだ。

 『ガンダム』の異様さは、ジュブナイル、それも良質のジュブナイルが生成されるフィルムの力場のなかで、当の監督がひとりでそれに抵抗している点である。
 しかし富野の孤軍奮闘もむなしく、『ガンダム』はジュブナイルとしてのラストを迎える。
 それがカツ・レツ・キッカによるラストシーンだ。
 ラストシーンからストーリーを逆算してつくるとしたら、ヒロインはフラウ・ボゥ以外にありえなかった、ということでもある。

 これが『ガンダム』の挫折だ。

  アムロは彼岸(ララァ)から帰還できず、セイラは兄離れできず、シャアは悪人としての往生ができなかった。
 『ガンダム』がジュブナイルから脱出するための仕掛けがまるまる残ってしまったのだ。

 またこの挫折により、本来「セックス論」「生殖論」とバランスさせるはずだった「ニュータイプ論」が“宙に浮いたまま”になったしまったことは、後年いろいろと祟ることになる。
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Author:shiwasu5
どんな奴か?
自己紹介。最終学歴は専門学校卒。(東京デザイナー学院アニメーション科)
小学時代→遊び時間と授業時間の区別がつかず。
中学時代→校内暴力をのびのびとエンジョイ。
高校時代→管理教育で次々と仲間が退学していくなかなんとか卒業。
浪人時代→二年間、進学/就職浪人をする。
本屋でバイト→本屋潰れる、古本屋でバイト→古本屋潰れる。クラブ通いで某事件を起こし警察に捕まったのもこの頃。
専門学校時代→馬鹿みたいに楽しかったが、周囲の才能に圧倒される。同期に吉田健一や長濵博史がいて、三人でつるんで歩いたこともある。やつらと較べた俺が間違いだった。
虫プロ入社。最低限の固定給が約束されているいい会社でした。『うしろの正面だあれ』の生活描写についていけず退社。絵が下手なのを実感。
バイト時代→バイトしながら漫画家を目指す。気に入ったコンテが描けず挫折。
デザイン系の会社のバイトから正社員へ。
現在は鬱(双極性障害)のため地獄を彷徨う。彼女と別れる。誰か背中抱いていてくれ。

好みの傾向
・アニメ五選(TVシリーズは除く)
『白い牙』
『機動戦士ガンダムF91』
『AIR』
『もののけ姫』
『アリオン』
・漫画五選
『メトロポリス』
『がんばれ元気』
『デビルマン』
『GANTZ』
『天然コケッコー』
・小説五選
『砂の惑星』
『狼の紋章』
『逃れの街』
『ながい坂』
『剣』
・映画五選
『ブレイブハート』
『ダークシティ』
『夜の大捜査線』
『用心棒』
『イージー・ライダー』
・音楽はわかりません。
世代的にいえば
サザン、YMO、尾崎、マイケル・ジャクソン、U2あたりが直撃です。
クリス・レアとかビリー・ジョエルとかも好きでした。(英語歌詞わからんけど)
・政治傾向
公武合体、天皇機関説、大きな政府、死刑廃止論者。
・女性の好み
シャアにとってのララァみたいな。
・男性の好み
元気くんのお父さん。
・富野由悠季の好きなところ
一生懸命なところ。

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