ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

『G-レコ』劇場版はどう約されるのか

 『ガンダム Gのレコンギスタ』はわかりづらい作品だ。

 ひとつには『F91』以後顕著になった「劇世界にいきなり放り込む手法」によるところが大きいだろう。劇の「はじまり」を端折っているのだ。観客は「世界の紹介」をされないまま世界に放り出されてしまう。『F91』と『リーンの翼』が代表的な例だろう。挫折した観客もいたかもしれない。
 それでも『F91』や『リーンの翼』は『G-レコ』よりマシだった。それが巻き込まれ型のストーリーだったからだ。『F91』でも『リーンの翼』でも観客はいきなり劇世界に放り込まれ「何が何だかわからない」ことになるが、作中人物たちもまた「何が何だかわからない」状況に巻き込まれている。「何が何だかわからない」という感覚はそれで「正解」なのだ。
 『G-レコ』は違う。観客は「何が何だかわからない」感覚に襲われるが、作中人物たちには「わかる」状況なのである。ここに乖離がある。わかりづらさの原因のひとつだ。

 もうひとつは戦い合う勢力が多すぎることだ。『Ζ』の三つ巴どころではない。最低でも五つの勢力が数え上げられる。ひとつひとつ戦っていくストーリーなのだが、戦った各勢力が脱落していく構造ではなく、最終的には一堂に会してしまうのだ。マンガ映画らしく戦艦やMSのデザインやカラーリングで識別できればまだよかったが、各勢力によるそうした統一性はない。少なくともメカ音痴の俺には判別できなかった。これで状況を理解をしろというのは初見殺しにもほどがある。

 もうひとつは物語の不在だ。諸所を巡って世界を体験する構造だが、行った先行った先で待ち構えているのは、人間ドラマではなく、その地その地の政治勢力との戦いである。行った先は違えど政治的確執に巻き込まれ戦闘することは同じある。これでは世界設定の紹介にすらなっていないのではないだろうか。その地に「生きる人間」、その地における「日常」が描かなければ、その地を体験したことにならないように思う。印象に残らないのだ。その地のその地の「設定の意味」にピンと来なくても、人間ドラマさえあれば、行った先行った先の印象がエピソード記憶として残ったはずだ。

 『G-レコ』は「みたこともないような世界設定」をつくった見事な作品である。その「みたこともないような世界設定」がラジカルであればあるほど、語り口にはもっと神経を使うべきだったと思う。
 神の視点で語るのか、視点人物で語るのか、どっちつかずだった。作劇においては神の視点でつくられているが、芝居においては視点人物を必要としているつくりである。ネジレているのだ。
 芝居の魅力が富野作品の真骨頂だとするのなら、視点人物の不在は悪手だったし、神の視点による作劇も悪手だったと思う。
 作劇の段階で物語を仕込み得ていないこと、場面場面における視点のあやふやさなど、そういう点では富野の欠点が出てしまっている作品といえる。

 しかし「そこ」さえ乗り越えれば、愛おしい人間たちの織りなす芳醇な世界が待ち受けている。
 そして「そこ」こそが、劇場版にするうえで問題になるところであろう。

 「状況にいきなり放り込む」というのはテレビ的というより映画的なので、大きな問題にならないかもしれない。
 第一話の緊張感を映画途中のダレ場まで引っ張っていければ、そのあたりの問題はクリアできるのではないだろうか。

 戦い合う勢力の多さは、あるいはいくつかの勢力をオミットするかもしれない。レコンギスタ、反レコンギスタ、主人公勢力の三つ巴に整理できるだろう。例えば、ビーナス・グロゥブ、キャピタル・アーミィ、主人公勢力だ。

 物語の不在は、初代ガンダム劇場版で「アムロの物語」を捏造したように、再構成の妙で捏造するしかないだろう。
 ここが一番大きな見どころだ。
 『G-レコ』から「ベルリの物語」を捏造できるだろうか。初代ガンダムには各エピソードに人間ドラマがあったが『G-レコ』はそうではない。そういう意味ではむしろ『Ζ』に近いかもしれない。
 劇場版『Ζ』ではカミーユ以外のストーリーラインが大胆にオミットされた。しかし『Ζ』はもともとテレビ版でもカミーユの主観世界に近い描き方をしていた作品だ。『G-レコ』はどうだろうか。同じ手法をとることは可能だろうか。
 しかし同じ手法を取りたがらないのが富野でもある。疲弊期には手癖で仕事をしてしまったきらいはあったが、つねに新しいコンセプトワークを求めているタイプだ。『G-レコ』劇場版でも新しいコンセプトを打ち出してきてくれるのではないだろうか。
 『G-レコ』はアイーダが女王になる話だと伝え聞いている。だとすればベルリではなくアイーダのストーリーラインをメインにすえた再構成になるのだろうか。しかしテレビ版から「アイーダの物語」を捏造するだけの量のストーリーが抽出できるとは思えない。
 とすれば、「ベルリとアイーダの関係性」をメインにすえた再構成になるのではないか、というのが俺の予想だ。「ベルリの物語」に必須のもうひとつの要素マスクのストーリーラインが大胆にオミットされるのではないか、という気がしているのである。

 あれだけの情報量の『G-レコ』である。映画として成立させるためには暴力的なほどの無茶な再構成が必要になるだろう。
 無茶をしなければ、テレビ版以上の、わかりづらい作品になってしまうはずだ。

 ナレーションを入れてもらってもいい。とにかく、わかりやすい、一見さんが楽しめる映画にしてほしい、という気持ちでいっぱいだ。
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Author:shiwasu5
どんな奴か?
自己紹介。最終学歴は専門学校卒。(東京デザイナー学院アニメーション科)
小学時代→遊び時間と授業時間の区別がつかず。
中学時代→校内暴力をのびのびとエンジョイ。
高校時代→管理教育で次々と仲間が退学していくなかなんとか卒業。
浪人時代→二年間、進学/就職浪人をする。
本屋でバイト→本屋潰れる、古本屋でバイト→古本屋潰れる。クラブ通いで某事件を起こし警察に捕まったのもこの頃。
専門学校時代→馬鹿みたいに楽しかったが、周囲の才能に圧倒される。同期に吉田健一や長濵博史がいて、三人でつるんで歩いたこともある。やつらと較べた俺が間違いだった。
虫プロ入社。最低限の固定給が約束されているいい会社でした。『うしろの正面だあれ』の生活描写についていけず退社。絵が下手なのを実感。
バイト時代→バイトしながら漫画家を目指す。気に入ったコンテが描けず挫折。
デザイン系の会社のバイトから正社員へ。
現在は鬱(双極性障害)のため地獄を彷徨う。彼女と別れる。誰か背中抱いていてくれ。

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・アニメ五選(TVシリーズは除く)
『白い牙』
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『アリオン』
・漫画五選
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・小説五選
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・映画五選
『ブレイブハート』
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世代的にいえば
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クリス・レアとかビリー・ジョエルとかも好きでした。(英語歌詞わからんけど)
・政治傾向
公武合体、天皇機関説、大きな政府、死刑廃止論者。
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