ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』について 1/6

 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』は、俺にとり二重の意味で観るのがつらい。

 それほど熱心なガンダムファンでないこと。
 この時期の富野由悠季にあまり期待していなかったこと。

 このふたつの理由である。

 小学校高学年で巨大ロボットアニメを卒業しようとしている矢先、初代『機動戦士ガンダム』に出会ってしまった。中学時代に「ガンダムブーム」がおこる。あれよあれよという間にガンダムファンになっていた。
 俺のもともとの資質としては特撮やアニメを偏愛する嗜好はない。「本物の」オタクにはいつも圧倒される。俺などはブームに巻き込まれただけの万年ニワカだ。
 ガンダムファンとしても万年ニワカだ。モビルスーツや宇宙世紀など、圧倒的に知識量が足りない。もともとオタク的才能(尽きることない情熱と卓越した記憶力、効率的な情報処理能力)がないこと、ちょうど世代の狭間、オタク世代とガンプラ世代の狭間に生まれたことなどが影響しているのかもしれない。世間様からすれば充分にオタクだが、オタクからすればニワカという情けないことになっている。

 初代『ガンダム』のどこに惹かれたかといえば、「人間ドラマ」はもちろん、「大人っぽい雰囲気」と「上品さ」だ。
 子供だった当時「人間ドラマ」を十全に理解していたとはいえないが、人間のままならさを感じさせる物語は理解できないなりに魅力的に映った。「大人っぽい雰囲気」は今にして思えばセックスのそれだったのだろう。ですます調で喋ることをふくめアムロにはぼんぼんらしい上品さを感じた。
 全体でいえば、登場人物たちが一定の距離感をもって接しているのがよかった。暑苦しくなかった。これからの時代を先取りしている、とタモリが指摘して富野を喜ばせたことは記憶に残っている。

 その後『伝説巨神イデオン』に出会う。『戦闘メカ ザブングル』に出会う。『聖戦士ダンバイン』に出会う。どうも俺は富野がそうとう好きらしいというのを自覚する。
 俺はガンダムファンだが、同時に富野ファンでもある。もちろん富野ファンとしても万年ニワカなのだが、こればかりはオタク的才能を持って生まれてこなかった話なので仕方がない。

 ガンダムファンとしては、モビルスーツや宇宙世紀の知識はもちろんのこと、アムロやシャアへのこだわりすら、それほど持っていない。『機動戦士Ζガンダム』ではシャアを邪魔者に感じたくらいだ。
 富野ファンとしては、『ダンバイン』以降の作品群にアニメ作家としての疲弊を感じ取った。バイストン・ウェルの物語では旧小説『リーンの翼』の方に迫力を感じた。

 『逆襲のシャア』は、俺にとり二重の意味で観るのがつらいというのはそういうことだ。

 ガンダムファンとしては「またアムロとシャアかよ」という白けるものがあった。そこに“挑戦”が感じられなかった。後ろ向きの商売にしか見えなかった。
 富野ファンとしても、その後ろ向きさ加減に、「ああ、やっぱりな」と悲しく得心をいくものがあった。吐き出すものがなくなってしまった疲弊期の富野に残された最後のネタが「アムロとシャアの物語」なのだろうと考えた。

 二十歳のときに映画館で初見したのだが、当時の俺には『逆襲のシャア』は予想通りの出来のように思えた。
 ストーリーに対して、アムロやシャアの物語は、白々しいまでに無理やり接ぎ木されている。「彼らでなければ」という必然性が薄い。

 物語には若者たちのそれが描かれるのだが、そこに尺をつかいすぎている。アムロやシャアの物語では尺が余るのだろう。それほど語るものがなかったからだ。それを若者たちの物語で埋めたのだ。
 若者たちの物語はアムロやシャアの物語の長い前座でしかない。前座が済めば呆気なく退場することなる。退場はご都合主義的な悲劇(死)である。疲弊期の作品だとしたとしてもあまりにも安易な措置だ。

 アムロやシャアの最終決戦ということで、熱烈なガンダムファンには満足のいくものだったのかもしれない。
 しかし俺には「こんなものかな……」という感想を抱かせる作品でしかなかった。
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コメント

逆襲という作品については

 まずとにかく「最初に映画ありき」で始まったという点が決定的だったと思いますね。

 まず最初に『Z』のヒットを受けて「ガンダム再映画化」という企画が持ち上がり、では何を売り物にしようかという点に進んで行ったのがポイントだったわけで。

 ガンダム大全集の富野監督のコメントによれば「安彦君が参加できないのであれば客を呼ぶにはシャアとアムロしかない」という事で、とにかく「シャアとアムロの再戦」という枠組がまず決められたと。

 (もっともこの部分は、シャアとアムロが登場する、当初予定の『ZZ』後半プロットからの再編だったとも言われますが。)

 そしてベルトーチカを途中で外してしまったという点を見ても、富野監督にとって完全なオリジナルとしては初という事もあってか、富野監督として「映画的」とは一体何かに拘った部分もあったという感じも強いと。

Re: 逆襲という作品については

 コメント、ありがとうございます。

 なるほど、そういう経緯があったわけですか。はじめて知りました。いつも情報ありがとうございます。
 『F91』はテレビシリーズ用の企画でしたから、映画用の企画というのは、『逆襲のシャア』がいまのところ唯一ですね。で、富野の「映画」観が表出されていると。
 それが続編映画というのはちょっと情けない気がしますけどね。

基本的に

 続編という形を快しとしない富野監督だけに、そこはかなり独自のオリジナルに拘った感じもありますね。

 その最たる部分は当然にクェスでしょうが、ナナイやチェーン、ケーラやレズンの設定にも伺える感じがありますね。

 またその意味で男性のオリジナルがせいぜいギュネイくらいだけなのも目立つわけですが。

 (そして生き延びるのはナナイだけと。)

Re: 基本的に

 コメント、ありがとうございます。

 そうですね。かなりがんばっていますよね。

 女性キャラクターにオリジナルが多いというのは「言われてみれば」という感じです。ギュネイがそのなかで目立つというのも納得です。そして彼、彼女らは非常に印象に残るように描かれていますね。がんばったんだなーと思います。
 新キャラは時間経過を表していると思っていたので、オリジナルへのこだわりという見かたは新鮮でした。

 俺の場合それらが続編映画のお膳立てにみえた、というところがあって、話がずいぶん「とっ散らかってる」な、という印象につながっています。

構造として

 興味深い点は『Z』以来「HBクルーの再会」はあくまで「二人まで」に抑えられている点ですね。

 (例の「三人組」は別ですが。)

 本作では初代以来の「アムロとブライト」だけであり、最初から当たり前のように登場している本作メンバーもあって「続編」としての印象は意外と小さい。

 なかでも良い味を出してたのがメラン副長で。

Re: 構造として

 コメント、ありがとうございます。

>  興味深い点は『Z』以来「HBクルーの再会」はあくまで「二人まで」に抑えられている点ですね。

 なるほど、指摘されてみれば、その通りですね。劇場版『Ζ』よりかはマシですかね。
 やはり富野なりにかなり工夫を凝らした構造になっているのでしょうか。

 俺には続編映画にしか観えないのは「アムロとシャアの決着をつける」というストーリーだったからです。

>  なかでも良い味を出してたのがメラン副長で。

 よく観てますねー(笑)。

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