ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』について 2/6

 「こんなものかな……」というのが俺が『逆襲のシャア』に抱いた感想だ。
 ネタの尽きた富野の後ろ向きの商売であり、疲弊期の富野がベテランの手練手管ででっち上げた作品である、と感じたのだ。

 『逆襲のシャア』は富野由悠季という映画作家の代表作である、という観方をするひともいると知って驚いたことがある。俺よりも遥かにアニメにも富野にも造詣が深いアニメ様の言だ。
 アニメ様の一連の文章を読ませていただいて感じたのは、『逆襲のシャア』は作品世界の内部に没入しなければその魅力を味わえないのかもしれないということだ。

 アムロと同年齢というアニメ様に比べて、俺はアムロより年下だ。アムロは私室をもち自分専用のメカを持っていた。俺にとりアムロは年上のぼんぼんで見上げるような憧れの対象だった。自分がアムロに似ていると思ったことなど一度もない。ジュドーやシーブックの登場でやっと共感できる主人公にめぐりあえた口だ。
 アムロには共感できない。作品世界に没入する手がかりがない。

 かつて俺は押井守はわからないと書いた。俺は映画のなかに映画を視ていないからだ。俺の低評価と、玄人筋の高評価との差は、そのあたりにあるのだろう。

 俺が映画音痴だとしても、俺なりに映画として観てみると、『逆襲のシャア』には風格のようなものが備わっているのがわかる。
 フィルムの隅々まで監督の意思が行き届いている。全編にわたってまったく隙がない。
 富野が「マンガ映画」の人ではないということが如実にあらわになった作品だ。もちろん「マンガ映画」が悪いわけでも劣っているわけでもない。むしろ「マンガ映画」こそアニメならではの魅力をもった作品といえる。
 しかし富野は「映画」の人なのだろう。“「マンガ映画」っぽさ”を目指したときの拙さに比較して、今作は隙らしい隙が見当たらない。堂々とした「映画」である。

 好意的に「映画」として観た場合、『逆襲のシャア』は、アニメ様たち玄人筋の方々がいうように、富野の持ち味が充分に発揮された作品である。

 大人の映画である。
 どうしょうもない業を背負った情けない大人たちの物語だ。
 若者に希望を託すほど甘美ではなく、大人に成熟を求めるほど幼くもない。

 地球を食い潰す人類への絶望、世俗をさかしく生きる俗物への蔑視、情動に取り憑かれた人間たちの悲劇。

 まごうことなき富野由悠季のフィルムである。ここまで彼が作家主義に徹したガンダムは今作だけだ。
スポンサーサイト

コメント

逆襲における風格

 とすればやはり三枝成章氏によるBGMの存在が大きいですね。

 特に次第に盛り上がっていく冒頭の導入部などは、まるで『2001年宇宙の旅』といった感じで。

 それが最後にTMネットワークの主題歌に切り替わって行くところも含めて。

Re: 逆襲における風格

 コメント、ありがとうございます。

>  とすればやはり三枝成章氏によるBGMの存在が大きいですね。

>  特に次第に盛り上がっていく冒頭の導入部などは、まるで『2001年宇宙の旅』といった感じで。

 あの導入部、いいですよね!
 全編にわたって素晴らしいBGMで、それに関しては、『F91』贔屓としては悔しい思いがあります(笑)。

 ラストといえば、声優のクレジットのところだけは、劇中なんですよね。あれも面白い演出でした。

 俺の場合『Beyond The Time』は好みじゃなかったんです。非常に残念ながら。歌詞はいいんですけどねー。
 ただ前奏が挿入されてくるタイミングはさすが富野だと思いました。

曲調としては

 『Z』の発展系という感じですが、いかにも映画的なスケールですよね。

 何年か前にも完全版音楽集が出たくらいの人気で。


 あと主題歌については、これも何年か前に小室氏が逮捕された時に「メビウスの輪から抜け出せなかったのか」と新聞に出てたのが傑作でしたが。

Re: 曲調としては

 コメント、ありがとうございます。

>  『Z』の発展系という感じですが、いかにも映画的なスケールですよね。

 まったく同意です。『Ζ』もよかった。「映画的なスケール」というのは本当にそうですね。

>  何年か前にも完全版音楽集が出たくらいの人気で。

 おぼろげながら記憶にあります。買いませんでしたが。音楽鑑賞は身につかなったんですね。しかし凄い人気ですよね。ずいぶん前の映画なのにね。

>  あと主題歌については、これも何年か前に小室氏が逮捕された時に「メビウスの輪から抜け出せなかったのか」と新聞に出てたのが傑作でしたが。

 知りませんでした(笑)。洒落になりませんねー。よりにもよって(笑)。

キャラの傾向として

 既に家族持ちのブライトは別として、シャアもアムロも「大人になりきれない大人」として描かれているんですよね。

 (ブライトも気質的にはいささか難が感じられないわけではない。)

 これはまさに「大人になるのを拒否した子供」であるジュドーの延長上にもある感じで。


 その意味で逆に「気が付いたらいつのまにか大人になっていた子供」がカミーユ。

 (「ハマーンの嘲笑」で、ブライトですらイライラを隠せない裏取引に「こういうのも興味がある」とあっさり受けてしまったところとか。)

 それだけに対極のジュドーとのドラマが実現しなかった事のシリーズ上の損失の大きさが分かると。

Re: キャラの傾向として

 コメント、ありがとうございます。

 ああ、なるほど、俺とJINさんでは「人間観」が異なるんですね。
 「人間観」が作品感想の差になるというのは、そこまで人物を描けているというわけですから、富野作品の凄さの一端を感じます。

 俺はシャアやアムロが大人になりきれないとは思わないんですよね。彼らの年齢を考えれば「あんなものかな」という感想です。

 ジュドーが成長しなかったとも思わないんですよ。不良少年が社会人になるわけですから。

 カミーユが大人になったとも思わないんですね。歳不相応の重圧を与えられてしまった少年の悲劇として捉えました。

 カミーユとジュドーの対峙は、カミーユが「甘ったれんな」とぶん殴って終わるような気がします(笑)。

 カミーユはシリアス富野の肝いり、ジュドーはアンチ「ガンダム」を任された若い遠藤たちのフラットキャラクター。
 同じリアリティレベルに立つことは難しいな、と思います。

 劇場版『Ζ』がああなった以上、『ΖΖ』の劇場版がもしもあればどうなっていたんだろうと考えることがあります。しかし歴戦の勇士カミーユとたかだか不良少年のジュドーを同じ舞台に上げるアイデアは思いつかないんですよね。「ガンダム」としては『ΖΖ』後半は黒歴史にするにはもったいないんですけどね。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://shiwasu5.blog12.fc2.com/tb.php/69-fc8583bf

 | HOME | 

文字サイズの変更

プロフィール

shiwasu5

Author:shiwasu5
FC2ブログへようこそ!

最新記事

最新コメント

最新トラックバック

月別アーカイブ

カテゴリ

未分類 (1)
ガンダム (19)
富野由悠季 (8)
アニメ (13)
雑記 (3)
逆襲のシャア (8)
G-レコ (20)
ΖΖ (1)
Ζ (4)
F91 (7)
新訳Ζ (4)
V (5)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QRコード

FC2Ad

Template by たけやん

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。