ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

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人気のなかった『ガンダム』

 『機動戦士ガンダム』は放映当時、まったく人気がなかった。
 本来スポンサーがターゲットにしているはずの小学生男子には、ほとんど知られていなかったのである。
 また東京地方では土曜日の夕方に放映していたので、当時の小学生男子には視聴することが困難だったこともあるだろう。
 俺はまさしくその小学生男子だったわけだが、土曜日の夕方といえば外で遊んでいるわけだ。まさか友達に「TVマンガ観るから帰るわ」とはいえない。
 だから俺の『ガンダム』本放送視聴体験は、「雨の日」と「日暮れがはやくなった晩秋」以降に限られるのだった(笑)。

 本放送も終わり、年末のクソ寒いなか、荏原町のプラモ屋をひやかしにいったら、奇妙な張り紙をみた。
 ガンダムとシャアザク、発売決定、といった内容の張り紙である。

 当時小学生男子の間では、アメリカのテレビドラマ『コンバット』の影響で、ちょっとしたミリタリーブームだった。
 宇宙戦艦ヤマトと間違えて買った戦艦大和の制作以来、俺にとりプラモは鬼門だったのだが、組み立て不要の艦載機や歩兵などを目的にプラモ屋をときどき覗いていたのだ。

 そこにガンダムの張り紙、あまりにも場違いだった。俺はそれを食い入るように見ていたのだろう、友達が「ガンダムってなによ? おまえ知ってんの?」と訊いてきたことをいまでも思い出す。

 「ガンダムって何よ?」と訊かれることほど、当時の俺を困惑させるものはなかった。
 なにせ本人にもよくわからないのだ。よくわからないなりに、「なにかが違う」「なにかが新しい」と直感させるものがあった。
 しかし言葉にはならないわけだ。“ガンダム的なもの”が世間で通用しない当時において、それを言語化するのは、平均にはるかに及ばない知能しか持ち合わせない小学生の俺には無理な話だった。

 その困惑は、俺が中学生になっても続いていた。
 当時、渋谷の東急文化会館の5Fだが4Fだかでは、非合法のラミネートされた写真が売られていた。ほとんどがアイドルのものだったが、アニメのものも若干混じっていた。それを俺はうっかり買ってうっかり生徒手帳に入れていたのだ。
 それをたまたま同級生に発見されたとき、俺は心の底からうろたえ、心の底から赤面した。
 「……。おまえ……まだ、こういうの、好きなんだ?」と、ためらいがちに確認されたものである。
 俺の恥部を発見してしまった同級生は、中学生ながらダンディズムを実践しようとするタイプの男であり、彼は紳士的に「この問題」に「深入り」しないでおいてくれた。男って美意識って大事よね、と俺は彼から学んだような気がする。

 やはりこれも中学時代の話。
 池袋のデパートだったと思う。マンガ家たちの合同サイン会が開かれたことがある。手塚治虫がひさしぶりにサイン会に出てくれる、という話だった。
 当時は手塚治虫は決して“人気作家”のひとりではなかったので、そういう機会が設けられるのは、かなりレアなことだったのだ。

 当時『まんが道』にハマり、将来フツーにマンガ家になっていると確信していた俺は、もちろんマンガ家としての相棒である友人と、手塚治虫のサインをもとめて「北極よりちょっとだけ南にズレた池袋」を目指して北上した。
 そこで見てしまったのだ、富野ヨシユキを。

 当時は“人気作家”とはいえない地位に甘んじていた手塚治虫だが、そこはやはり“まんがの神様”の貫録である。
 サイン会のひとつでも開けば、自然と長蛇の列ができる。俺と俺の相棒の友人も当然、蛇の一部を形成した。

 そのときにみた、みてしまったわけだ。『機動戦士ガンダム』のコーナーを。

 誰も並んでいない。見事なまでに無人である。
 『機動戦士ガンダム』の大きな看板の下、背筋をピンと伸ばしたおっさんがひとり、威儀を正して座っているだけだ。

 それがそう、ルシアンネーム「トミノフ・スケベヴィッチ・オンナスキー」を目撃した最初である。
 同じ一族「スケベヴィッチ・オンナスキー」に属するShiwasu5として、サインのひとつもほしかったのだが、なにせ誰も並んでいないのである。ちょっとそこでサインをもらうのは抵抗があった。なんか……こう……「きわめて特殊な変態」と思われたらいやだな……というひとしての当然の防衛本能が働いたためにほかならない。

 ガンダムの本放送はとっくに終わっている。
 ガンダムの看板の下、誰も並ばない、無人の空虚な空間。
 そのほかのまんが家たちは、手塚治虫は“別格”としても、そこそこ人気があって、子供たちがニコニコ笑いながら並んでいる。

 ガンダムの大きな看板の下には誰も、誰ひとり並んでいないのだ。
 そこに富野が一人、ポツンと座っているのだ。ピンと背筋だけを伸ばして。

 『ガンダム』がその後、社会現象になるまでにヒットしたとき、「ガンダムの成功の功績」に対して、功名争いがまったくなかったことは、この時代があったからにほかならないであろう。
 
 『ガンダム』の商業的“失敗”、評判的“失敗”を引き受けたのは、あのガンダムの大きな看板の下、誰ひとり並ばない閑散とした空虚な空間の前に、ピシッと背筋を伸ばして端座していたトミノフ・スケベヴィッチ・オンナスキーだったからだ。
 『ガンダム』はスポンサーレベルでは「失敗作」だったし、その「失敗作」の烙印を、きちんと引き受けて背負ってきたのは、富野監督ただひとりだった、ということである。

 富野がガンダムの成功を一人占めした、と当時のスタッフだったら口が裂けても言わないことをナゼカ口走る下種は、ちょっと俺に住所氏名を教えろと。そんな気持ちにもなるのである。
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コメント

無題

よくわからない。

Re: 無題

拙い文章で申し訳ありません。

ご無沙汰にしております。いつも楽しく拝読させていただきます。

この記事について一つお願いしたいですが、中国語に翻訳して紹介したいですけど、よろしいのでしょうか。

Re: タイトルなし

 kaito2198様

 こちらこそいつも楽しく拝読させてもらっています。
 貴殿のblog、資料あり評論あり、富野小説から井荻麟まで語る富野ファンの鑑だと思っています。
 中国語への翻訳、全然OKです。ですが、この文章は「私の記憶」を元にしたものなので、事実性や資料性といった側面は割引いておいてください。

ご快諾ありがとうございます。
一人のファンとしての貴重の証言として謹んで受け止めます。

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