ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

ニュータイプについて

 ニュータイプについては、作品ごとに意味合いが違ってくる。

 初代においては、未来への希望として描かれている。
 エンドマーク後の人類がいつかニュータイプによる戦争のない世界をつくれるかもしれない。
 そんな予感がカツ・レツ・キッカという子供たちの活躍からするのだ。
 
 『Ζ』『ΖΖ』では基本的に霊能者だ。
 『逆襲のシャア』では剣豪同士の気の探り合いだ。

 『F91』では「パイロット特性がある人のことだよ」と説明される。“世俗化”されたわけだ。
 初代を除いた『ガンダム』シリーズの劇中でのニュータイプの活躍は基本的にパイロットのそれなので「パイロット特性がある人」というのはもっとも客観性のある認識だろう。
 しかしそうした身も蓋もない悲しい過去の事実を認めた後に「人類の革新、戦争なんか越えられるって説もありますよね」と再びニュータイプの理念が復活する。
 『F91』はニュータイプ概念の“世俗化”と“理念の復活”を同時にやっているわけだ。

 野暮な話をすれば、ニュータイプという言葉は本来、ミノフスキー粒子と同じく、作品上の都合のために考えられたものだろう。

 しかしミノフスキー粒子と決定的に違うのは、ニュータイプという言葉は「設定」化されなかったのである。「SFではない」というのはそういうことだ。

 この場合「SFではない」ということは素晴らしいことである。「設定」化してしまっては、ニュータイプという言葉は虚構のなかで完結してしまうからだ。「SF作品の一アイデア」になってしまう。

 ニュータイプは開かれた言葉だ。夢の数だけ存在していい。命名者すら、そのときそのときで、概念が変わってきた。

 しかし『V』では「戦争をしない人類の革新」を実際に敵役が起こそうとする。悪夢として。
 そのときニュータイプという言葉は力を失い、サイキッカーという超能力者に名を変える。

 こうしてニュータイプをめぐる夢物語は終焉することになる。
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