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ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

富野由悠季への愛を告白するBlogです。熱狂的なファン時代は過ぎ、今はちょっと遠くから眺めている感じでしょうか。 『伝説巨神イデオン』で“ゴーチンby小松左京”されたクチです。

『母性のディストピア』を読んだ

 予感としては「母性が云々」というのは江藤淳文脈かなと思った。(だから「風にひとりで」などを書いてしまったのだが)
 予感はだいたい当たったのだが、想像していた以上に「大きな話」になっていて、驚いた。

 宮﨑駿論は「なるほど、そういう見かたもあるのか」と分かりやすかった。
 富野由悠季論は「えっとどういうこと?」と分かりづらい。
 押井守論すら「なんとなく」分かったのだが、肝心の富野論が分からん、という事態に陥ってしまった。
 構成的にいえば宮﨑駿→富野由悠季→押井守と連なって論が展開されているはずで、アタマの宮﨑論とオシリの押井論が分かって、真ん中の富野論が分からないというのはちょっとありえないのだが、俺の頭ではいまひとつ焦点を合わすことができなかった。

 おそらく「母性のディストピア」という問題意識の外にはみ出すかたちで、富野由悠季が語られているからだろう。冗長で散漫なのだ。
 なぜかといえば、富野を語るのに「母性のディストピア」という問題意識は、いささか小さすぎるからだ。
 「母性のディストピア」という文脈で語れるものがあるとすれば、いくつかの作品に絞り込めたはずであり、そうすればもっと分かりやすくなったはずだ。

 それだけ多くの富野監督作品が語られているともいえる。
 『海のトリトン』からはじまり代表的な作品がほぼ全部網羅されているのだから、その情熱に圧倒され、賛嘆せざるをえない。
 富野ファンだったら楽しめるのか、という点では微妙なところだ。宇野常寛が自身の文脈に引き寄せすぎているからだ。それを覚悟して読む必要がある。評論家は批評家を兼ねることはできるが、批評家は評論家を兼ねることはできないということだろう。

 印象に残ったのは、富野監督作品のなかに、予見性を視ている点だ。
 そこに宇野のテーマがあるからだろうか、「ニュータイプ」を語るとき「イデ」を語るとき「黒歴史」を語るとき、筆致は生き生きとし華やかな魅力を放つ。

 『海のトリトン』、『無敵超人ザンボット3』に対する言及は、それほど特色のあるものではない。児童向け作品のお約束に現実が殴り込んでくるというものであり、このあたりは富野ファンであれば周知のとおりだ。

 『無敵鋼人ダイターン3』の読解は面白い。少年がロボットに乗って自己実現を果たすジャンルにおいて、なぜ大人の男である破嵐万丈はロボットに乗って戦うのか。父との関係、成熟の問題、すべてがロボットアニメのフォーマットのアンチテーゼだというのだ。

 『機動戦士ガンダム』のラストにおいてアムロが帰還するのが“擬似家族”であることを強調して見出していているのが興味深かった。そこに「ニュータイプの可能性」を見出すのが今作のミソだ。宇野の富野論はその「ニュータイプの可能性」を縦軸として語られていく。そこに「母性のディストピア」を超克する鍵があるからだ。

 『伝説巨神イデオン』と『聖戦士ダンバイン』に「ニュータイプになれないオールドタイプの悲劇」を視るというのは新鮮だった。ガンダムシリーズ以外の作品にも、ニュータイプ/オールドタイプを視るというのは今作の白眉だろう。
 
 『機動戦士Ζガンダム』にオウム真理教のポアの思想に近いものがあるという指摘は、俺が同作に感じていた違和感をうまく言語化してくれていた。『ダンバイン』を経由した『Ζ』のニュータイプはエゴが直接ぶつかり合うディストピアとして描かれるというのは説得的だ。

 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』に富野のニヒリズムを視るというのも面白かった。シャア寄りの視点であり俺に近い。ただ俺は富野の「ニヒリズムとデカダンスに陥らない」という言葉も信じたい。

 「母のつくったガンダム」「母に導かれてのヒロイン救済」を描く『機動戦士ガンダムF91』がそれほど強く批判されていないのは意外だった。富野はこのとき「母性のディストピア」との融和を図ろうとしたのではないか、という指摘に留まる。『F91』に画期を見出すというのは俺と同じで、その点では嬉しかった。

 「母性のディストピア」という言葉から真っ先に想起されるのは『機動戦士Vガンダム』だが、意外にもそこにはあまり紙数を使っていない。ただしっかりとカテジナ・ルースの名が刻まれている。案の定そこに可能性を見出していて微笑ましかった。

 『ブレンパワード』の評価は辛辣だ。その「思想」はオウム真理教となんら変わりがないと断言される。俺はそうは思わないが、同作にある種の独善性を感じたことも確かである。「母性のディストピア」の文脈でいえばそれに抗う意思、そして絶望が描かれなかった。和解を許さない絶望──シャアや鉄仮面が不在なのだ。葛藤はすべて家族/男女の話として和解されてしまう。

 『∀ガンダム』は絶賛に近い。「母性のディストピア」から“自由”を勝ち得たことを評価している。「黒歴史」に物語からデータベースへの時代の移行をみ、ロランに中間的な存在をみ、ディアナ/キエルには母になることも拒否することもない自律した物語をみる。『∀ガンダム』好きの俺ですらここまで絶賛できない。『∀ガンダム』に『伝説巨神イデオン』との関連を見出す点、「敵の設定」が弱かったという指摘は、俺と感じたこととほぼ同じだ。

 『OVERMANキングゲイナー』で「大人の男」を描きそこねた、描き出し得なかった、という指摘はハッとさせられるものがあった。また「引きこもり」の理由が的外れだ、という指摘も納得だ。宇野はカミーユ・ビダンというキャラクターを時代に先駆けて創造した富野が、この時点では時代に乗り遅れてしまったという。悔しいが、説得的だ。

 『機動戦士Ζガンダム A New Translation』に「極めて良心的な原作者」を見出すのは意外だった。俺は極めて“迷惑な”原作者という感想しか抱けなかった。2クールのアニメをきっちり二時間半の一本の(良質な)映画に仕立て上げた『STAR DRIVER 輝きのタクト』の五十嵐卓哉監督+脚本榎戸洋司コンビに編集して欲しかったとすら思ったぐらいだ。

 『リーンの翼』はアナクロニズムとして捉えられてしまう。バイストン・ウェル・シリーズは日本を描く虚構なのだが、宇野はその点でなぜか冷たい。「母性のディストピア」という問題意識から遠い物語群だからかもしれないし、宇野が「世界市民」の側に立っているからかもしれない。

 『ガンダム Gのレコンギスタ』は物語をつくりえていないという指摘は、宇野とは別の文脈だが、俺も感じたところだ。作品の難解さは現在の情報社会への反時代的メッセージと受け止めているが、ここは過剰な読み込みに思えた。富野はもともと「物語」の人ではない、というのが俺の考えだ。「コンセプト」の人である。その富野が全話脚本をしてしまったのが難解さにつながったと思っている。難解さは「意図」ではなく「失敗」だったのではないだろうか。

 宇野は富野が「ニュータイプ」を諦めるべきではなかったという。
 もう一度、アムロがそうであったような(希望としての)「ニュータイプ」を語ることが富野の仕事だというのだ。

 その点においては、俺もまったく同感である。

 もちろん富野“喜幸”が人類文明の未来に希望を抱ければの話だが。


●追記 2018/01/05

 『母性のディストピア』は富野論として読むだけではもったない本である。
 それは古びた戦後論の総括にして、未来へのヴィジョンをもった「実際行動」の本であるからだ。

 学がないので、どこまできちんと理解できたか、怪しいものだが、俺が感銘を受けたのは宇野常寛の眩いばかりのオプティミズムだ。もちろんそのオプティミズムは深い絶望の向こう側に宇野が見出した小さな灯火にすぎない。それでも俺はそのオプティミズムに感動を覚えた。
 宇野はなにより富野監督作品に現在に至る“予見性”をみ、そこに彼のリスペクトの根源がある。

 俺のようなただ快楽主義的に消費してきた受容者とはまったく違う。

 宇野は男女/家族という最小限の共同体を否定する。それらは結局のところ共同幻想に収束されてしまうからだ。

 近代社会の“演者”としての近代市民すら日本では不可能だと宇野は断言する。民主主義社会の構成員たる“市民”にはなれないというのだ。それはひとつは虚実皮膜の薄い日本的伝統と、なによりアメリカの影のなかで、“戦線の後方”という現実に目をつむり経済的繁栄を築いてきたからにほかならない。

 こうして「12歳の少年」は“成熟”のかわりに、かれを庇護する「母性」の下で、ぬくぬくと父性ごっこに浸ることになる。

 ごっこ遊びは日本をめぐる二つの潮流の言説に現れているという。偽悪的な対米独立論と偽善的な一国平和主義だ。それらは実効性をもたないという点で同質のものだ。

 宇野はその欺瞞、政治と文学の断絶の超克を、現在のテクノロジーの発展に見出す。

 テクノロジーがもたらしたそれはもはや、「政治と文学」の時代ではなく、「市場とゲーム」の時代だというのだ。「映像の世紀」(仮想現実)の時代が終わり、「ゲーミフィケーション」(拡張現実)がやってくる。そこでは「他人の物語」を享受するより「自分の物語」を(ライブなどを通して)享受する時代が来るというのである。

 宇野が「実際行動」として希望を見出しているのは、テーマコミュニティによるロービングだ。地縁・血縁から切り離された疑似家族がテーマコミュニティだ。それは共同幻想に収束されない友愛の組織だという。

 宇野の「実際行動」がどう結実するのか、わからない。ただその挑戦を好ましく思うし、ぜひとも成功させて欲しいと思う。

 宇野は現在社会を実質変質させた「カルフォルニアン・イデオロギー」を高く評価する。そして日本にもそれと同時期に「もう一つのカルフォルニアン・イデオロギー」が形成された可能性があったという。それはしかし挫折した。
 その挫折の象徴が、富野由悠季による「ニュータイプ」論の破棄である。

 宇野は富野がヒューチャーリストに回帰すべきだという。

 ネットによる「下からの全体主義」、あの「無責任の体系」の悪夢がふたたび、「母性のディストピア」として最悪のかたちで日本に復活を遂げようとしている。

 それに抗することができる唯一の作家が富野由悠季であり、「ニュータイプ」なのだ。
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コメント

ブレンの場合

ブレンの場合、最終的に「仮面」を被るのが「母親」だというのがポイントですね。

最後の巨大化なんかも意味深な感じですし。

その意味でもあの作品における「女性」の存在感の高さは歴代の富野作品の中でも一際に大きいというか。

Re: ブレンの場合

 コメント、ありがとうございます。

 仰るとおりだと思います。
 以前JINさんは、『F91』のコメント欄で、

> セシリーや比瑪の場合においては、ある意味では「ヒロイン」というより「主役」的なんですよね。

> 更に『ブレン』の場合は、むしろ勇が従来で言うなら、むしろ「ヒロイン」の役割をやってる感じも。

> 『F91』とはちょうど真逆の構図とでもいうか。

 とご指摘してくださいましたね。

 母親が仮面をかぶり、ヒーローが比瑪だとしたら、ほんとうに女性の物語ですね。

> その意味でもあの作品における「女性」の存在感の高さは歴代の富野作品の中でも一際に大きいというか。

 まったくその通りだと思います。

 ただ富野監督はわりとカウンターを入れてくるんですが、『ブレンパワード』にはそれがなくて、俺にはちょっと独善的にみえました。
 ましてそれが「女性の物語」の下で語られるのですから、“母性のディストピア”そのものになるんですよね。

 思想的にはニューエイジに近似していて(女性原理がうんたらかんたらと言う俺もあきらかにニューエイジの影響を受けています)、宇野常寛はニューエイジに否定的ですから、そこも彼の『ブレン』評につながっているようです。

 『母性のディストピア』に関しては、宇野は俺より一回り年下ですから、どうしても評価が甘くなってしまったきらいはあるかもしれません。まあ、買っても損にはならない本であることは確かです。

自分の知人に

かつて聞かされた意見ですが、『エヴァ』の世界観で一番近いのは、実は筒井康隆の『エディプスの恋人』ではないのかというのがあったんですよね。

どちらも「神になった母」に支配される物語。

そしてその母によって「再生される伴侶」とか。

思えばエヴァブームの時にもこの二つの比較は無かった感じですが、一番に説得力を持っていそうなだけに。

Re: 自分の知人に

 コメント、ありがとうございます。

 ああ、なるほど、それはほんとうに新鮮なご意見ですね。
 完全に初耳です。たしかに『新世紀エヴァンゲリオン』ブームのときもそういう指摘はなかったと記憶しております。
 俺にはまったく考えが及びませんでした。

> どちらも「神になった母」に支配される物語。

> そしてその母によって「再生される伴侶」とか。

 まさに人類補完計画ですね。
 アドベンチャーゲーム的に言えば、『機動戦士Vガンダム』の“バッドルート”といったところでしょうか。

 『魔法少女まどかマギカ』のTVシリーズの最終回を観たとき、連想したのは『幻魔大戦』と『エディプスの恋人』だったんですが、そうなると『エヴァ』の方が『エディプスの恋人』に似ていますね。

 『魔法少女まどかマギカ』は氷河期世代の絶望感が出ていて、それを“魔法少女ファシズム”とでも呼べる「救済」を描いた点で、虚淵玄の予見性と天才性を確信したのですが、『エヴァ』が『エディプスの恋人』に似ているとしたら、庵野秀明の方はいわゆる「母と息子の閉じた関係性」による「絶望=引きこもり?」を予見していたのかもしれませんね。

 しかし『エヴァ』と『エディプスの恋人』ですか…………。

 いやあまったく気付かなかった。Blogをやっていてよかった(笑)。

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