ガンダム30周年でなんか書こうと思ったらもう師走だよ

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『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』について 3/6

 俺が『逆襲のシャア』の作品世界に没入できないのはアムロのせいばかりではない。
 アムロ以外にもピンと来ないキャラクターばかりである。感情移入できるできないというレベルではない。

 まずはシャアだ。
 地球人類の粛清というのが唐突である。地球連邦政府に失望したとはいえ飛躍がある。その失望も台詞で説明するだけだ。わかりづらい。
 地球にへばりつくお偉いさんを粛清したいというお話なのに、そのお偉いさんを描写せずに、お偉いさんが宇宙に上ってくる場面をつくってしまう。わかりづらい。

 次にアムロだ。
 一介の軍人である彼は何のために戦っているのか。大義のためか、ただの任務なのか、ハッキリしない。わかりづらい
 初稿を小説化したという『ベルトーチカ・チルドレン』ならハッキリしている。自分をふくめた地に足の着いた生活者を守るために戦うのだろう。
 『逆襲のシャア』ではそこはオミットされてしまっている。シャアの大望に対してアムロに大義があるのかどうか。わかりづらい。

 諸事情あって初稿から現行の脚本に書きなおすとき、アムロの「立ち位置」をきちんと補完しなかったために、俺の好みからズレたということかもしれない。

 『逆襲のシャア』は声優に救われた作品でもある。古谷徹演じるアムロは確実に成長しているのに、池田秀一演じるシャアは昔と変わらない。シャアはシャアを演じている男だからだ。
 ここの演技、芝居で、アムロが地に足の着いた生活をしていたことをうかがわせ、シャアは相変わらず自分を演じざるを得ない人生を歩んできたことがわかる。
 “本”の弱さを声優の芝居でカヴァーした例だろう。
 またここの芝居はクライマックスで活きてくるのも見逃せない。クライマックスではシャアは自分の仮面を脱ぎ捨て、アムロは大人の仮面を脱ぎ捨てる。ただの(情けない)二人の男として対峙することになる。

 次にクェスだ。彼女の魅力がわからない。富野ヒロインはみんな好きな俺だが、彼女だけはピンと来ない。
 理由はたぶん、彼女にオンナを感じないからだろう。『ΖΖ』のプルですらオンナの子を感じさせたのに、クェスにはそれがない。
 シャアに恋心を抱いている、という風に俺には見えなかった。プルならジュドーの体臭をくんかくんかしそうだが(笑)、クェスがシャアの体臭をくんかくんかするさまが想像できない(笑)。
 作品としてはアムロやシャアにオンナを感じさせない小娘として造型したのかもしれないが、だとしたらハサウェイやギュネイのくだりは余計だということになる。
 そもそも富野がセックスを感じさせないキャラクターをヒロインにするとは思えないので、俺のような人間に“だけ”クェスの魅力がわからないということなのだろう。

 最後にハサウェイだ。いくら激情にかられたとはいえ、顔見知りのアムロの恋人を殺害するのは、ちょっと酷いんじゃないかと思った。
 俺にはあの悲劇が作品展開上のご都合主義のように感じられたのだ。ハサウェイの心情が理解できなかった。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』について 2/6

 「こんなものかな……」というのが俺が『逆襲のシャア』に抱いた感想だ。
 ネタの尽きた富野の後ろ向きの商売であり、疲弊期の富野がベテランの手練手管ででっち上げた作品である、と感じたのだ。

 『逆襲のシャア』は富野由悠季という映画作家の代表作である、という観方をするひともいると知って驚いたことがある。俺よりも遥かにアニメにも富野にも造詣が深いアニメ様の言だ。
 アニメ様の一連の文章を読ませていただいて感じたのは、『逆襲のシャア』は作品世界の内部に没入しなければその魅力を味わえないのかもしれないということだ。

 アムロと同年齢というアニメ様に比べて、俺はアムロより年下だ。アムロは私室をもち自分専用のメカを持っていた。俺にとりアムロは年上のぼんぼんで見上げるような憧れの対象だった。自分がアムロに似ていると思ったことなど一度もない。ジュドーやシーブックの登場でやっと共感できる主人公にめぐりあえた口だ。
 アムロには共感できない。作品世界に没入する手がかりがない。

 かつて俺は押井守はわからないと書いた。俺は映画のなかに映画を視ていないからだ。俺の低評価と、玄人筋の高評価との差は、そのあたりにあるのだろう。

 俺が映画音痴だとしても、俺なりに映画として観てみると、『逆襲のシャア』には風格のようなものが備わっているのがわかる。
 フィルムの隅々まで監督の意思が行き届いている。全編にわたってまったく隙がない。
 富野が「マンガ映画」の人ではないということが如実にあらわになった作品だ。もちろん「マンガ映画」が悪いわけでも劣っているわけでもない。むしろ「マンガ映画」こそアニメならではの魅力をもった作品といえる。
 しかし富野は「映画」の人なのだろう。“「マンガ映画」っぽさ”を目指したときの拙さに比較して、今作は隙らしい隙が見当たらない。堂々とした「映画」である。

 好意的に「映画」として観た場合、『逆襲のシャア』は、アニメ様たち玄人筋の方々がいうように、富野の持ち味が充分に発揮された作品である。

 大人の映画である。
 どうしょうもない業を背負った情けない大人たちの物語だ。
 若者に希望を託すほど甘美ではなく、大人に成熟を求めるほど幼くもない。

 地球を食い潰す人類への絶望、世俗をさかしく生きる俗物への蔑視、情動に取り憑かれた人間たちの悲劇。

 まごうことなき富野由悠季のフィルムである。ここまで彼が作家主義に徹したガンダムは今作だけだ。

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』について 1/6

 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』は、俺にとり二重の意味で観るのがつらい。

 それほど熱心なガンダムファンでないこと。
 この時期の富野由悠季にあまり期待していなかったこと。

 このふたつの理由である。

 小学校高学年で巨大ロボットアニメを卒業しようとしている矢先、初代『機動戦士ガンダム』に出会ってしまった。中学時代に「ガンダムブーム」がおこる。あれよあれよという間にガンダムファンになっていた。
 俺のもともとの資質としては特撮やアニメを偏愛する嗜好はない。「本物の」オタクにはいつも圧倒される。俺などはブームに巻き込まれただけの万年ニワカだ。
 ガンダムファンとしても万年ニワカだ。モビルスーツや宇宙世紀など、圧倒的に知識量が足りない。もともとオタク的才能(尽きることない情熱と卓越した記憶力、効率的な情報処理能力)がないこと、ちょうど世代の狭間、オタク世代とガンプラ世代の狭間に生まれたことなどが影響しているのかもしれない。世間様からすれば充分にオタクだが、オタクからすればニワカという情けないことになっている。

 初代『ガンダム』のどこに惹かれたかといえば、「人間ドラマ」はもちろん、「大人っぽい雰囲気」と「上品さ」だ。
 子供だった当時「人間ドラマ」を十全に理解していたとはいえないが、人間のままならさを感じさせる物語は理解できないなりに魅力的に映った。「大人っぽい雰囲気」は今にして思えばセックスのそれだったのだろう。ですます調で喋ることをふくめアムロにはぼんぼんらしい上品さを感じた。
 全体でいえば、登場人物たちが一定の距離感をもって接しているのがよかった。暑苦しくなかった。これからの時代を先取りしている、とタモリが指摘して富野を喜ばせたことは記憶に残っている。

 その後『伝説巨神イデオン』に出会う。『戦闘メカ ザブングル』に出会う。『聖戦士ダンバイン』に出会う。どうも俺は富野がそうとう好きらしいというのを自覚する。
 俺はガンダムファンだが、同時に富野ファンでもある。もちろん富野ファンとしても万年ニワカなのだが、こればかりはオタク的才能を持って生まれてこなかった話なので仕方がない。

 ガンダムファンとしては、モビルスーツや宇宙世紀の知識はもちろんのこと、アムロやシャアへのこだわりすら、それほど持っていない。『機動戦士Ζガンダム』ではシャアを邪魔者に感じたくらいだ。
 富野ファンとしては、『ダンバイン』以降の作品群にアニメ作家としての疲弊を感じ取った。バイストン・ウェルの物語では旧小説『リーンの翼』の方に迫力を感じた。

 『逆襲のシャア』は、俺にとり二重の意味で観るのがつらいというのはそういうことだ。

 ガンダムファンとしては「またアムロとシャアかよ」という白けるものがあった。そこに“挑戦”が感じられなかった。後ろ向きの商売にしか見えなかった。
 富野ファンとしても、その後ろ向きさ加減に、「ああ、やっぱりな」と悲しく得心をいくものがあった。吐き出すものがなくなってしまった疲弊期の富野に残された最後のネタが「アムロとシャアの物語」なのだろうと考えた。

 二十歳のときに映画館で初見したのだが、当時の俺には『逆襲のシャア』は予想通りの出来のように思えた。
 ストーリーに対して、アムロやシャアの物語は、白々しいまでに無理やり接ぎ木されている。「彼らでなければ」という必然性が薄い。

 物語には若者たちのそれが描かれるのだが、そこに尺をつかいすぎている。アムロやシャアの物語では尺が余るのだろう。それほど語るものがなかったからだ。それを若者たちの物語で埋めたのだ。
 若者たちの物語はアムロやシャアの物語の長い前座でしかない。前座が済めば呆気なく退場することなる。退場はご都合主義的な悲劇(死)である。疲弊期の作品だとしたとしてもあまりにも安易な措置だ。

 アムロやシャアの最終決戦ということで、熱烈なガンダムファンには満足のいくものだったのかもしれない。
 しかし俺には「こんなものかな……」という感想を抱かせる作品でしかなかった。

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